131)31. ネイティブスピーカーの英語の最近のブログ記事
Mさんの意見
本来、英語であろうが、日本語であろうが、話す内容を考えず文法を考えつつしゃべるということは、よほど特殊な状況でない限り、不可能なはずです。僕もプレゼンテーションで英語を話しますが、そのとき英語の文法を考えつつ話すということはありません。考えたことを英語で話しているのです。
いろいろ過去に蓄積してきた表現などが、有機的に結合されて、僕の口から英語として出てくる・・・そういう形以外に、口頭で英語を使ってある概念を伝えるということができるのでしょうか。
Pさんの意見
おっしゃるとおり。ところが、私の観察によると、英文法でがんじがらめになった失語症の方たちはこの不可能をやろうとするんです。なんでかというと、聞く練習、しゃべる練習をしていないというよりは、「間違ってはいけない」という幻影にとりつかれているからと思います。この幻影を育てているのが、日本の英語教育ではないでしょうか。
私(phnx)の意見
私もそうです、英語で話す時は話す内容については考えていますが、英文法で文を組み立てたりしていません。おっしゃる通り「過去に蓄積してきた表現などが、有機的に結合されて、口からでてくる」そんな感じです。だから私は「日本語で考えたことをその都度英語に訳して話す」という勉強方法についてはそんなやり方で英語がスムーズに話せるのかと疑問に思ってしまうのです。
Pさんの意見
MさんやPhnxさんに賛成です。 私の母国語は日本語、メインの外国語はフランス語で、あと英語を使っています。話しながらふと自分は今どの言葉で話してたっけと思うことがあります。
失語症になってしまう方は、英文法で文を組み立ててから話すとか、自分の言おうとしている文を、あまりにも神経質に頭の中で文法チェックしてしまう癖の持ち主なのかなと想像しています。学校で習う和文英訳って、そういうことでしょ?
Mさんの意見
なぜ日本人が文法にがんじがらめになるかと言うと、(言語学者ではありませんが、)僕は単純に次のように考えています。 本来コミュニケーションの道具であるべき英語を習う一番最初に、文法を習ってしまった「不幸」です。
もっと正確に言うと、英語は日本語を置き換えた言語である、という風な誤った理解をさせられるのです。 文法はいわばルールです。このルールは、ほとんど神のなせるわざで、なぜあのようにきちんとした法則で言語が成り立っているのかわからなくても、英語圏の人は英語を日本人は日本語を話せるのです。
田舎のばばちゃんでも、てにをはを間違わずに、しゃべれるのです。ですから、コミュニケーションとしての言葉は、文法で成り立ってはいますが、それを意識した形では実際に使われていないのです。
ただ、ルールにそむいた用法を前にすると、「こいつ間違っている」と「直観的に」指摘できるだけなのです。この指摘は、田舎のばばちゃんでもちゃんできます。
私の問題提起
ここが言語のおもしろくて複雑なところです。日本人なら変な日本語を聞くとすぐわかります。別に国文法の知識など何もなくても直感的にわかります。
「なぜその日本語が正しくないか説明してみろ」と言われても田舎のばっちゃんはできないでしょう。田舎のばっちゃんはきっとこう答えると思います。「だって誰もそうは言わないもん」 皆さんはこのことについてどう思われますか?
Pさんの意見
ホントに不思議だなあ。これから何十年外国に暮らしつづけても、現地の人と同じ直感を身につけることは不可能と確信しています。ギャップが徐々に縮まるとは思いますが。ボキャブラリー、その外国語での理解力、プレゼンテーション能力などが一般の現地人をはるかに上回ったとしてもです。
オノ・ヨウコがいろんな間違いをしながら話してるというのが自然で、外国人には決して到達できない領域があるように思います。現地の人がいとも簡単にものにしているのにです。それこそ、神の領域?
Tさんの意見
私はそれ程言語学の知識はありませんが、、、。 第一言語であれば、ほぼ全員が無意識に習得出来てしまう。第二言語であればどんな天才でも、どれほど集中した意識を傾けても勉強してもネイティブほど完璧な言葉の習得は出来ない。それがどうしてそうなるかのメカニズムは、言語学の最大の謎の一つで、決して解く事の出来ない謎ではないかと思います。ですから誰も覗いて見る事の出来ない、「ブラック・ボックス」と呼ばれているのでしょう。
メールマガジンを読んで下さっているKさんから次のようなメールをいただきました。
はじめまして。 メルマガ、利用させてもらっています。 ところで、「なぜ言語を学ぶ環境にない人でも ネイティヴであれ間違いを指摘できるか」という問題についてわたしの意見を書いてみます。
わたしは、大学で言語学と言うのをちょこっとだけやったのですが、みょうに納得するところが多く、目からうろこと言うかんじでした。
まず、子どものころに言語を身につける際には、 習得(私のホームページでは学習という言葉を使っています)と言うよりも獲得(私のホームページでは習得という言葉を使っています)と言うことばが適しているようです。 なぜなら、子どもは言葉を覚える際に、知的労力を使っていないと考えられるからです。
これに関しては、臨界期と言うことばがあり、臨界期を終える前に 適切で一定以上の言語環境に置かれると、こどもはみるみることばをおぼえます。 これは、人間のDNAに言語獲得装置がプログラムされていて、 臨界期にある子どもは、その装置のスイッチボードを次々と設定していくだけなのです。
たとえば、英語圏で育ったこどもはSVOにスイッチオン、日本語で育つとSOVにスイッチオン。 両方使う環境にあると、2個のボードが用意される。 といったかんじです。
ちなみに臨界期は、統語に関しては、15才くらいまで、音に関しては10才くらいまでとされています。 ですから、臨界期を過ぎた後の言語学習は、「習得」(学習)となってしまい、 いくら限りなくネイティヴに近づいても、その言語の使い方が 文法的か、そうでないかをモニタリングすることはできません、 と言うか、学習によって得た知識によってでしかモニタリングしていないわけで、 本能的に間違いに気づくネイティヴとは、間違いの認識の方法は違うようです。 というのが、わたしが支持する考え方です。
チョムスキーと言う言語学者の統語論(Syntax)に関する本を読んでみると、もっと 分かりやすいと思います。
私の解説
ありがとうございます。このマガジンも一方通行ではなくいろいろな方の意見を聞かせていただけると充実します。 Kさんのおっしゃることはその通りで、私も言語学で同じことを学びました。臨界期を境に言語習得が難しくなるのは統計的にも明らかです。
しかし、「じゃあ子供はなぜ自然に言語を身につけることができるのに、大人になると難しくなるのか?」「言語を習得する仕組みはいったいどんなになっているのか」ということについては本当のところはよくわかっていません。
この仕組みを「こんなんじゃないだろうか?あんなんじゃないだろうか?」といろいろなモデルを考えていくのが言語学という学問なのですが、いくらモデルを作ってもそれが外国語の学習に役にたたないと私達英語学習者にとってはあまり意味はありません。
私がこのホームページ(メールマガジン)であつかいたいのは「じゃあどんな勉強法をとったらネイティブスピーカーに近い形で間違いが認識できるようになるのだろうか?」ということなのです。
ネイティブスピーカーが間違った英語が瞬時にわかるということについて私の仮説を展開したいと思います。
私の学校は校内が日本語禁止で生徒も教師も皆英語でコミュニケーションしています。しかし日本人同士で英語を話しているとどうしても間違った英語がはびこてしまう可能性があるので、それを防ぐためにネイティブスピーカーの先生方に生徒が使っている英語でおかしなものをピックアップしてもらってそれを生徒が見れるところに掲示するという方法で注意をうながしています。
おもしろいのはその中の表現に文法的には間違っていない表現が含まれていることです。たとえば生徒が授業に遅れてきて「遅れてすみません」という時に"I'm sorry to be late."ということがあります。 これは文法的には正しい表現でどこにも間違いはありません。でも普通はそうは言わないというのです。
「遅れてすみません」は普通は"I'm sorry I'm late."だそうです。"I'm sorry to be late."でも間違ってないではないかと聞くと、「そうだけど、普通はそうは言わない」という答えが返ってきます。 この文法的には正しいけどもそうは言わないという感覚はいったいどこから来ているのでしょうか?
私の意見
私はネイティブスピーカーは膨大な量の英語を覚えていて、聞いた表現が自分の覚えている表現の中にあるかどうかということで「それは言う、それは言わない」と判断しているのではないかと思います。
前回説明した"I'm sorry to be late ."がおかしいと思うのは、みんなが"I'm sorry I'm late."と言っているので「なんか変だな」と思うのではないでしょうか? 日本人にはわからない複雑な冠詞や前置詞の問題もネイティブスピーカーは何も考えずに答えられます。これなどルールで説明していたらとても説明しきれないでしょう。
私は表現やストレス、イントネーションなどで迷うことがあると、ネイティブの先生に「あなたはどういうか?」と聞くことがあるのですが、彼らは、私が質問した表現を何度も口に出して確かめています。それはあたかもその表現が自分の脳というコンピューターにどうインプットされているかどうか検索して確かめているように見えるのです。
ネイティブが文法的には説明できなくても瞬時にある表現が正しいかどうかわかるのは、過去に聞いたり、読んだりして覚えている表現にその表現が含まれているかどうかということで判断しているのではないかというのが私の仮説です。
Tさんの意見
時々お書きになったものを拝見し、教わることが多く感謝しております。 厳密に言うと「文型的」には正しいと言う事だと思います。「This is a desk.」も文型的には正しく、「文法的に」は多くの状況で間違った英語だと言えます。文型以外の他の文法要素に合わないからです。つまり殆ど誰もこう言う英語を使わない訳です。(フィニックスさんは勿論ご存知でしょうが、他の方達がどうしてもGrammar 即ちSyntaxであると言う間違った前提で話されるもので。文法と聞くと、悪しき学校文法に結び付けて考えてしまう様です)
ネイティブスピーカーは自己の作ったメンタル・ディクショナリーを引きつつそれが正しい表現かどうかを調べている訳です。所謂Lexiconで、これも勿論文法の一つです。この自分が生活上作り上げたメンタル・ディクショナリーもランダムに単に慣れで積み上げられたものではなく、ちゃんとした法に則って整理整頓がキチンと出来ている訳です。ですから瞬時に自然不自然が分かるのでしょう。