140)40. 英語直接表現方法の最近のブログ記事

英語を正しい音声で覚えてあり英語とイメージが結びついていれば英語で理解することは可能ですが、自分で話したり書いたりするとなると理解するレベルよりもさらに深いレベルの学習が必要です。

みなさんは語彙には受容語彙(passive vocabulary) と 使用語彙(active vocabulary)があることをご存知でしょうか? 受容語彙は、聞いたり、読んだりするとわかる表現のことです。 使用語彙は、話したり、書いたりする時に使える表現を言います。

受容語彙は使用語彙より多いのが普通です。これは母国語である日本語の場合にもあてはまりますが、外国語の場合はこの差が母国語より開いてしまうことが多いです。

日本には「英語は聞いたり、読んだりすることはかなりできるようになったのに話したり、書いたりしようと思うとなかなか出てこない。」という方がたくさんいます。なぜでしょうか?それは受容語彙を使用語彙にするための深い勉強を怠っているからです。

この章では受容語彙を使用語彙にするためにはさらにどんな学習をしなければならにのかを説明します。

理解するということはうろ覚えの英語でもなんとかできますが、表現するのは英語を完全に覚えていないとできません。

 

日本の英語教育は訳ばかりやらせて英語をまともに覚えさせていないので、ほとんどの英語はうろ覚えの状態です。自信を持って正しいと確信して使える表現など数えるほどしかありません。これでは英語で表現しようと思ってもできるわけがありません。

英語を大量に聞いたり,読んだりしていくと英語に慣れますから受容語彙を増やすことはできます。しかし、使用語彙として使えるようになるには、そうしたあいまいなレベルの記憶では十分ではありません。

適切な表現がとっさに口をついて出てくる為には、その英語を完全に暗記していつでも使えるようになっていなければなりません。私は「石につまずいても出てくる表現」などと言っています。

完全に暗記したってなかなか使えるようになれないのですから、うろ覚えの表現などというのは使えるわけがないのです。 英語がなかなかでてこない人はこうした「きちんと英語を覚えていく訓練」が足りないことが多いです。

英語が使えるようになるためにもう1つ大切なのは英語を使う機会をできるだけ多く持つことです。受容語彙を使用語彙に変えるには必ずどこかで一度はその表現を使ってみる体験をしなければなりません。覚えるだけでは使えるようになれないのです。

したがってなんとか英語を使う機会を作らなければいけません。英語で日記をつけるとか、英語のチャットに参加するとか、友達と英語で話をするとか、とにかく自分で工夫して、英語をアウトプットする機会を確保しなければいけません。

私達の学校は校内を日本語禁止にして英語しか話せないようにしています。それは英語を使う場を確保するにはこの方法が一番良いからです。ですから生徒さん達は英語を話すことに慣れているので受容語彙と使用語彙のギャップが少ないのです。

一度どこかで使ったものは、次の機会にも使えますから、いろいろな英語を使う機会を多くもてばもつほど、使える英語の表現も増えていきます。

I さんの質問

 Misterは、「英語を書くほうが話すことよりやさしいと思っている人は英文法を使って日本語から英語に訳して話したり、書いたりしている人です。訳すと時間がかかるので、考える時間がとれる「書く」の方がとっさに話さなければならない「話す」よりも楽に感じるのです。」「これは間違った方法です。その都度日本語で考えて作って英語を話したり書いたりしているのでは時間がかかりすぎますし、変な英語になってしまう可能性があります。英語は正しい表現を覚えておいてそれを応用しながら話したり、書いたりしなければいけません。その方が安全だし、確実だからです。」と仰っています。

更に、「私のおすすめの英語教材」の中の「2.必ずものになる話すための英文法」のところで、 「決して日本語から英語に訳すのではありません。日本語を見たらそれに対応する英語がすぐにスラスラ言えるようになるまで完全に覚えます。」と仰っています。

しかし、この「日本語を見たらそれに対応する英語がすぐにスラスラ言える」ということと、「その都度日本語で考えて作って英語を話す」ということの区別がつかないのです。 私は、「日本語を見たらそれに対応する英語がすぐにスラスラ言える」というのも、結局は、「その都度日本語で考えて作って英語を話す」ということを高速に行っているだけのような気がするのです。これらはどのように違うのですか。もう少し、詳しく説明して頂けないでしょうか。

私の回答

 「日本語で考えて英語で話す」ということは  発想や概念==日本語→(翻訳)→英語  と考え翻訳の部分を練習するということです。発想==日本語の部分はもうできていますから、翻訳の部分を練習しましょうという方法です。

これに対して「英語で直接発想する」ということは  発想や概念==英語  をダイレクトに結びつけることです。発想や概念と英語は結びつきがないか、結びつきが弱いですから、何度も英語をくりかえして覚えてその結びつきを強いものにしてやる必要があります。

方法としては発想や概念が明確になものを英語でどういうかを何度も声を出してくりかえして覚えるということです。 私は発想自体は日本語でも英語でもなくイメージのようなものでやっていると思います。違いはそれを言葉で表現しようとしたときに一度日本語にして英語に訳して表現するかそれとも英語でどう言うかをすでに知っていてそのまま表現するかの違いです。

話すための英文法を勉強する時に大切なのは「英文の例文を覚える」というところです。本当は日本語の部分はなくてもよいのです。ただ英語と結びつける概念が不明確だと「発想や概念==英語」の結びつきが弱まりますから、いちおう英文の意味は大体こういうことだということをわかっておくために日本語の助けを借りるにすぎません。

ですから概念がはっきりしているものに関しては日本語は必要ありません。本当は日本語を一切はさまずに概念自体を英語で理解できたほうがのぞましいのです。英英辞典を使いなさいということはそういう意味です。

日本語から英語に訳す方法と英語で直接発想する方法のもうひとつの違いは日本語から英語に訳すという方法は「単語を文法で組み立てて英語にするという方法」をとりますが、英語で直接発想する方法は「例文をたくさん覚えておいてその一部のみを入れ替えたり、多少変化させて英語を話したり書いたりする」ということです。

翻訳法はバラバラの単語を覚えそれを文法の知識で組み合わせて文を作るのに対し、英語で直接発想する方法はまるごと英語をセットで大量に覚えてそれを多少変化させて表現します。

このセットでというのが大切です。単語レベルのものを文法でいちいち作っていくのでは作業が複雑になり時間がかかりますが、ある程度の長さのものをセットで覚えておけば英文を作る作業はずっと簡単になります。したがって「速く処理ができる=とっさに話せる」し、使われている表現をそのまま覚えていますから間違いもずっと少なくなるのです。

理解のために文法を理解したり、日本語での意味を知っておくことは概念を理解するために有効ですが、それだけで満足しては英語はいつまでたっても上達しません。理解したあとに英語をしっかり覚える(発想や概念と英語を結びつける)努力をしないと英語のまま理解できるようにもならないし、英語で直接言いたいことを表現できるようにもなりません。

I さんの質問

つまり、話すための英文法に書いてある日本語の文章を見る、あるいは日本語(読む、あるいは聞く)→イメージ化 →(発想や概念==英語)→英語(話す、あるいは書く)という行為である、と理解してよろしいでしょうか。確か、國弘正雄先生も、著書の中で、通訳するという行為は、このような> 行為である、と述べられていたと思います。

もし、わたしのこのような理解が正しいとすれば、話すための英文法に書いてある日本語の文章を読んで、それを直ちに英語で言うという勉強方法を、「英語で考える」ための練習として実効あるものにするためには、常に、日本語(読む、あるいは聞く)→イメージ化というプロセスを経なければならないはずです。しかし、これは容易な事ではないと思います。

私の回答

私は国広先生の「英語の話し方」新版を読みましたが、国広先生と私の考えはほぼ同じです。違いがあるとすれば、国広先生はひたすら音読して自然に覚えるのに対し、私は意識して英語を覚えようとするところだと思います。

 I さんの質問

私は、法律の条文を暗記する方法として、一つ一つの文言をイメージ化して結びつける方法が良いときき、実行してみたことがあるのですが、条文の文言を一つ一つイメージ化するのは非常に困難な作業でした。特に、「権利が消滅する」、「質権を設定する」等のように、法律的な状態の変化等の抽象的な概念をイメージ化するのは困難でした。

私自身は、難しい言葉は、その言葉として記憶しているとしか説明がつきません。大脳生理学的に言うと、右脳記憶ではなく左脳記憶とでも言うのでしょうか。

私の回答

英語にはイメージ(絵)にしやすいものと、しにくいものがあります。目でみれるもの動作などはすぐイメージにできますが、抽象的な概念はイメージにしにくいのです。しかし、抽象的なものも日本語としては自分なりにこんなものだという概念になっていると思います。

「質権を設定する」の意味することは絵にはならなくても日本語ではどんなことを意味するかはわかっていると思います。法律などはもともとが外国語でそれを日本語に訳しただけですから英語にもほぼ同じ概念はあるのです。ですから法律などは日本語で概念として理解しているものを英語ではどういうのかというやり方で覚えてしまうのがてっとり速いと思います。

その車に質権を設定する establish the right of the pledge on the car. と覚えれば他の場面でも使えるでしょう。

I さんの質問

ちょっと脱線してしまいましたが、私が、話すための英文法に書いてある日本語の文章を見る、あるいは誰かに読んでもらって、直ちに英語でスラスラ言う練習方法に対して危惧しているのは、次のような点です。

まず、話すための英文法に書いてある日本語の文章というのは、市川先生が書かれた文章であって、もちろん私自身が考えた文章ではない訳です。しかも、イメージ化が困難な場合には、それらの文章を、そのままそれらの文章として記憶して、英語と結びつける作業を行うことになるのではないでしょうか。

それよりも、話すための英文法に書いてある日本語によって一通りの意味を理解した後は、例えばアメリカ口語教本にあるようにイラストを見ながら英文を変形させる、という練習方法の方が、英語で考えるという練習には有益なような気がするのです。 話すための英文法に書いてある日本語の文章を見る、あるいは誰かに読んでもらって、直ちに英語でスラスラ言うという訓練は、通訳になる人の練習にはいいと思うのですが、英語で考えるという練習にはどうなのでしょうか。

私の回答

英語の勉強は英語を覚えることですから、日本語をいっさい使わずに会話のスキットやエッセイ、新聞の記事、物語等を英語で覚えていってももちろんいいわけです。英語の意味を英語の定義で覚えることもいいでしょう。

イメージできるものは、アメリカ口語演習のように絵をみて変形練習するのもいいと思います。トータルフィジカルリスポンスのように動作と英語を組み合わせる方法もあります。したがって日本語をいっさいはさまずに英語を覚えていくということももちろん可能です。

一方では「英語で考える」ためには英語はすべて英語で理解すべきであるから、日本語は一切排するべきであるという考え方もあります。 しかし、なにもそこまで厳密にすべてを英語だけでつみあげていかなくても、日本語で知っている知識や概念をある程度使って英語を覚えていうというのも悪いことではないのではないかというのは私の意見です。

 松本亨先生も「これを英語で何というか」とか「英作全集」などで日本語を英語でなんというかというやり方を使っていますから、すべて英語だけで理解せよと主張されているわけでもないと思います。 最初は日本語とくっつけて英語を覚えていても、覚えてしまった英語は1人歩きを始めます。

私も話すための英文法で覚えた構文を無意識で使うことがありますが、日本語はもう全くでてきません。英文が定着してしまって自分のものになっているからです。日本語と英語をあわせて覚えても英語のまま理解したり、英語で直接表現できるようになれますからあまり心配されないことです。

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