mrphnx: 2007年7月アーカイブ

Q.いきなりメールを出して申し訳ございません。私は、奈良女子大学で教育を専攻している者です。

もうすぐ卒論を執筆しなければいけない時期に来ていまして、インターネットでいろいろ検索していましたら、このホームページをたまたま見つけ、もしかしたらご相談にのっていただけるかと思い、メールしました。

  私は卒論のテーマを、一応、H.E.パーマーを考察する方向で考えていまして、いろいろ本を読んでみると、彼が語学教育研究所の初代所長をされていたということを知り、語学教育研究所の方に連絡を取れば、何か資料を貸していただけるのではと考えていました。 もしよろしければ、どうやって語学教育研究所に連絡を取ればよいか、教えていただけないでしょうか。

また、パーマーについて詳しく書いてあるような文献がなかなか見つからないのですが、何か良い文献があれば教えていただけませんでしょうか。

  私は、将来英語教師になろうと思っているのですが、教員採用の試験を受けるたびに、自分の英語力のなさに驚かされています。先生のホームページに書いてある学習方法は、非常に分かりやすく、がんばって英語を勉強しようという気になりました。これからも英語を少しでも自分の身につけられるように努力したいと思います。  お返事よろしくお願いいたします。 

A.私は語研に所属していますが、時間がなくてほとんど語研の活動には参加していませんので、あまりお役にたてません。

 語研の連絡先は 財団法人語学教育研究所

〒113-0033 東京都文京区本郷1-35-28 メゾンドール本郷901号室 TEL03-3818-9648 FAX03-3818-9885 です。

パーマーの著書で私のリストにのっているものをいくつかあげます。

Palmer.H.E

(1917)
The Scientific Study and Taching of Languages, London: George G.Harrap.

(1924)
Memorandum on Problems of English Teaching in the Light of a New Theory, Tokyo: IRET, Kaitakusha. (語学教育研究所編、1924、『英語教授法事典』開拓社)

A Grammar of Spolen English, Cambridge: W.Heffer

(1925)
English through Actions, Tokyo: IRET, Kaitakusha

(1933)
Second Interim Report on English Collocations. (Reprinted, 1966, Tokyo: Kaitakusha)

(1938)
A Grammar of English Words, London: Longmans.

 (1939) A Grammar of Spoken English, Cambridge: W.Heffer & Sons

I さんの質問

つまり、話すための英文法に書いてある日本語の文章を見る、あるいは日本語(読む、あるいは聞く)→イメージ化 →(発想や概念==英語)→英語(話す、あるいは書く)という行為である、と理解してよろしいでしょうか。確か、國弘正雄先生も、著書の中で、通訳するという行為は、このような> 行為である、と述べられていたと思います。

もし、わたしのこのような理解が正しいとすれば、話すための英文法に書いてある日本語の文章を読んで、それを直ちに英語で言うという勉強方法を、「英語で考える」ための練習として実効あるものにするためには、常に、日本語(読む、あるいは聞く)→イメージ化というプロセスを経なければならないはずです。しかし、これは容易な事ではないと思います。

私の回答

私は国広先生の「英語の話し方」新版を読みましたが、国広先生と私の考えはほぼ同じです。違いがあるとすれば、国広先生はひたすら音読して自然に覚えるのに対し、私は意識して英語を覚えようとするところだと思います。

 I さんの質問

私は、法律の条文を暗記する方法として、一つ一つの文言をイメージ化して結びつける方法が良いときき、実行してみたことがあるのですが、条文の文言を一つ一つイメージ化するのは非常に困難な作業でした。特に、「権利が消滅する」、「質権を設定する」等のように、法律的な状態の変化等の抽象的な概念をイメージ化するのは困難でした。

私自身は、難しい言葉は、その言葉として記憶しているとしか説明がつきません。大脳生理学的に言うと、右脳記憶ではなく左脳記憶とでも言うのでしょうか。

私の回答

英語にはイメージ(絵)にしやすいものと、しにくいものがあります。目でみれるもの動作などはすぐイメージにできますが、抽象的な概念はイメージにしにくいのです。しかし、抽象的なものも日本語としては自分なりにこんなものだという概念になっていると思います。

「質権を設定する」の意味することは絵にはならなくても日本語ではどんなことを意味するかはわかっていると思います。法律などはもともとが外国語でそれを日本語に訳しただけですから英語にもほぼ同じ概念はあるのです。ですから法律などは日本語で概念として理解しているものを英語ではどういうのかというやり方で覚えてしまうのがてっとり速いと思います。

その車に質権を設定する establish the right of the pledge on the car. と覚えれば他の場面でも使えるでしょう。

I さんの質問

ちょっと脱線してしまいましたが、私が、話すための英文法に書いてある日本語の文章を見る、あるいは誰かに読んでもらって、直ちに英語でスラスラ言う練習方法に対して危惧しているのは、次のような点です。

まず、話すための英文法に書いてある日本語の文章というのは、市川先生が書かれた文章であって、もちろん私自身が考えた文章ではない訳です。しかも、イメージ化が困難な場合には、それらの文章を、そのままそれらの文章として記憶して、英語と結びつける作業を行うことになるのではないでしょうか。

それよりも、話すための英文法に書いてある日本語によって一通りの意味を理解した後は、例えばアメリカ口語教本にあるようにイラストを見ながら英文を変形させる、という練習方法の方が、英語で考えるという練習には有益なような気がするのです。 話すための英文法に書いてある日本語の文章を見る、あるいは誰かに読んでもらって、直ちに英語でスラスラ言うという訓練は、通訳になる人の練習にはいいと思うのですが、英語で考えるという練習にはどうなのでしょうか。

私の回答

英語の勉強は英語を覚えることですから、日本語をいっさい使わずに会話のスキットやエッセイ、新聞の記事、物語等を英語で覚えていってももちろんいいわけです。英語の意味を英語の定義で覚えることもいいでしょう。

イメージできるものは、アメリカ口語演習のように絵をみて変形練習するのもいいと思います。トータルフィジカルリスポンスのように動作と英語を組み合わせる方法もあります。したがって日本語をいっさいはさまずに英語を覚えていくということももちろん可能です。

一方では「英語で考える」ためには英語はすべて英語で理解すべきであるから、日本語は一切排するべきであるという考え方もあります。 しかし、なにもそこまで厳密にすべてを英語だけでつみあげていかなくても、日本語で知っている知識や概念をある程度使って英語を覚えていうというのも悪いことではないのではないかというのは私の意見です。

 松本亨先生も「これを英語で何というか」とか「英作全集」などで日本語を英語でなんというかというやり方を使っていますから、すべて英語だけで理解せよと主張されているわけでもないと思います。 最初は日本語とくっつけて英語を覚えていても、覚えてしまった英語は1人歩きを始めます。

私も話すための英文法で覚えた構文を無意識で使うことがありますが、日本語はもう全くでてきません。英文が定着してしまって自分のものになっているからです。日本語と英語をあわせて覚えても英語のまま理解したり、英語で直接表現できるようになれますからあまり心配されないことです。

I さんの質問

 Misterは、「英語を書くほうが話すことよりやさしいと思っている人は英文法を使って日本語から英語に訳して話したり、書いたりしている人です。訳すと時間がかかるので、考える時間がとれる「書く」の方がとっさに話さなければならない「話す」よりも楽に感じるのです。」「これは間違った方法です。その都度日本語で考えて作って英語を話したり書いたりしているのでは時間がかかりすぎますし、変な英語になってしまう可能性があります。英語は正しい表現を覚えておいてそれを応用しながら話したり、書いたりしなければいけません。その方が安全だし、確実だからです。」と仰っています。

更に、「私のおすすめの英語教材」の中の「2.必ずものになる話すための英文法」のところで、 「決して日本語から英語に訳すのではありません。日本語を見たらそれに対応する英語がすぐにスラスラ言えるようになるまで完全に覚えます。」と仰っています。

しかし、この「日本語を見たらそれに対応する英語がすぐにスラスラ言える」ということと、「その都度日本語で考えて作って英語を話す」ということの区別がつかないのです。 私は、「日本語を見たらそれに対応する英語がすぐにスラスラ言える」というのも、結局は、「その都度日本語で考えて作って英語を話す」ということを高速に行っているだけのような気がするのです。これらはどのように違うのですか。もう少し、詳しく説明して頂けないでしょうか。

私の回答

 「日本語で考えて英語で話す」ということは  発想や概念==日本語→(翻訳)→英語  と考え翻訳の部分を練習するということです。発想==日本語の部分はもうできていますから、翻訳の部分を練習しましょうという方法です。

これに対して「英語で直接発想する」ということは  発想や概念==英語  をダイレクトに結びつけることです。発想や概念と英語は結びつきがないか、結びつきが弱いですから、何度も英語をくりかえして覚えてその結びつきを強いものにしてやる必要があります。

方法としては発想や概念が明確になものを英語でどういうかを何度も声を出してくりかえして覚えるということです。 私は発想自体は日本語でも英語でもなくイメージのようなものでやっていると思います。違いはそれを言葉で表現しようとしたときに一度日本語にして英語に訳して表現するかそれとも英語でどう言うかをすでに知っていてそのまま表現するかの違いです。

話すための英文法を勉強する時に大切なのは「英文の例文を覚える」というところです。本当は日本語の部分はなくてもよいのです。ただ英語と結びつける概念が不明確だと「発想や概念==英語」の結びつきが弱まりますから、いちおう英文の意味は大体こういうことだということをわかっておくために日本語の助けを借りるにすぎません。

ですから概念がはっきりしているものに関しては日本語は必要ありません。本当は日本語を一切はさまずに概念自体を英語で理解できたほうがのぞましいのです。英英辞典を使いなさいということはそういう意味です。

日本語から英語に訳す方法と英語で直接発想する方法のもうひとつの違いは日本語から英語に訳すという方法は「単語を文法で組み立てて英語にするという方法」をとりますが、英語で直接発想する方法は「例文をたくさん覚えておいてその一部のみを入れ替えたり、多少変化させて英語を話したり書いたりする」ということです。

翻訳法はバラバラの単語を覚えそれを文法の知識で組み合わせて文を作るのに対し、英語で直接発想する方法はまるごと英語をセットで大量に覚えてそれを多少変化させて表現します。

このセットでというのが大切です。単語レベルのものを文法でいちいち作っていくのでは作業が複雑になり時間がかかりますが、ある程度の長さのものをセットで覚えておけば英文を作る作業はずっと簡単になります。したがって「速く処理ができる=とっさに話せる」し、使われている表現をそのまま覚えていますから間違いもずっと少なくなるのです。

理解のために文法を理解したり、日本語での意味を知っておくことは概念を理解するために有効ですが、それだけで満足しては英語はいつまでたっても上達しません。理解したあとに英語をしっかり覚える(発想や概念と英語を結びつける)努力をしないと英語のまま理解できるようにもならないし、英語で直接言いたいことを表現できるようにもなりません。

英語が使えるようになるためにもう1つ大切なのは英語を使う機会をできるだけ多く持つことです。受容語彙を使用語彙に変えるには必ずどこかで一度はその表現を使ってみる体験をしなければなりません。覚えるだけでは使えるようになれないのです。

したがってなんとか英語を使う機会を作らなければいけません。英語で日記をつけるとか、英語のチャットに参加するとか、友達と英語で話をするとか、とにかく自分で工夫して、英語をアウトプットする機会を確保しなければいけません。

私達の学校は校内を日本語禁止にして英語しか話せないようにしています。それは英語を使う場を確保するにはこの方法が一番良いからです。ですから生徒さん達は英語を話すことに慣れているので受容語彙と使用語彙のギャップが少ないのです。

一度どこかで使ったものは、次の機会にも使えますから、いろいろな英語を使う機会を多くもてばもつほど、使える英語の表現も増えていきます。

理解するということはうろ覚えの英語でもなんとかできますが、表現するのは英語を完全に覚えていないとできません。

 

日本の英語教育は訳ばかりやらせて英語をまともに覚えさせていないので、ほとんどの英語はうろ覚えの状態です。自信を持って正しいと確信して使える表現など数えるほどしかありません。これでは英語で表現しようと思ってもできるわけがありません。

英語を大量に聞いたり,読んだりしていくと英語に慣れますから受容語彙を増やすことはできます。しかし、使用語彙として使えるようになるには、そうしたあいまいなレベルの記憶では十分ではありません。

適切な表現がとっさに口をついて出てくる為には、その英語を完全に暗記していつでも使えるようになっていなければなりません。私は「石につまずいても出てくる表現」などと言っています。

完全に暗記したってなかなか使えるようになれないのですから、うろ覚えの表現などというのは使えるわけがないのです。 英語がなかなかでてこない人はこうした「きちんと英語を覚えていく訓練」が足りないことが多いです。

本を読んでいて、ひとつひとつの文の意味はわかっているのに文章全体の意味がよくわからないということはよくあります。多くの場合それはその文章の内容についての背景知識(スキーマ)が欠けているからです。

 「文章の意味が直接英語でわかる」ためには背景知識が大切です。人間は文を聞いたり読んだりすると新しい情報が自分が今まで持っていた背景知識のどの部分にあたるかを考えながら理解します。

この背景知識の重要性については認知心理学は次のような説明をしています。人間の記憶には短期記憶と長期記憶の2つのレベルのものがあると考えられています。そして人間が聞いたり、読んだりした情報は一旦短期記憶の中に入ります、次に長期記憶としてすでに記憶されている知識(背景知識)の中から短期記憶に入ってきた情報を理解するのに役立ちそうな知識(スキーマ)を持ってきて入ってきた情報を再構築しながら内容を理解するというのです。そして理解したことをもとにさらに次にどんな情報が入ってくるかを予測し、それによって次の情報処理をすすめようとします。

入って来た情報に関する背景知識がないと情報を再構築できないので、文章全体の言っていることが理解できずわからなくなります。逆に背景知識のあるものを聞いたり、読んだりすると多少わからないことがあっても背景知識で補いながら理解することができるので内容がよくわかるのです。

日本の英語のニュースは理解できるのに、アメリカのCNNは理解できなかったり、イギリス文学やアメリカ文学が難しいのは英語の問題より背景知識がないことが原因のことが多いです。

単語の意味を理解することは動物でもできます。たとえば訓練した犬に「おすわり」とか「伏せ」とか言えば犬はその意味を理解できます。しかし文を理解することは人間のみに与えられた才能です。文を文法で組み合わせて複雑な意味を伝えることは人間にしかできないのです。

「文の意味が直接英語でわかる」ということは単純なものと複雑なものがあります。単純なのは「きまり文句」です。これは知っていればわかります。例えばWhat do you do? は「お職業は?」という意味だと知っていればこの表現を聞いた時すぐわかります。 

what が疑問詞でdoは現在形で使う助動詞でといった分析をして理解しているわけではないと思います。この表現は全体で「お職業は?」という意味だと覚えているからWhat do you do? と聞いた時に意味はすぐわかるのです。

きまり文句として覚えてしまっているものは高速処理が可能です。私達が日常使う言葉のほとんどは「覚えてしまっている」というのが本当のところだろうと思います。ですからよく使う文というのはそのまま覚えてしまうと良いのです。

複雑なのは「きまり文句」以外の文です。これは無制限にありますからすべての文を全部覚えていると考えるのは合理的ではないと思います。しかし聞いた文をその都度分析して理解しているわけでもないと思います。理解するのは一瞬でできるからです。

どうやら人間のは意味を理解しながらたくさんの英語を覚えていくと脳の中に英語のの回路ができて、初めて聞いた文も理解できるようになるらしいのです。たくさんの文を覚えて、その表現を使うという試行錯誤を何度もやっているうちに英文法や語法が脳にインップットされて無意識でも新しい文が理解できたり、新しい文を作って表現できるようになるのです。

どうしてそんなことができるか脳の構造はどのようになっているのかということは言語学の対象となる謎です。チョムスキーをはじめとする言語学者達はが生成文法と呼ばれるいろいろなモデルを使って「こんな仕組みになっているのではないか」といろいろ考えていますが本当のところはまだよくわかっていません。

しかし英語の文を分析せずに理解できるようになるためには英語を何度も脳に通し、英語の文をたくさん覚えていくことが有効なことは私の経験上からも確実です。

「単語の意味が直接英語でわかる」ということは割に単純です。イメージできるものはそのイメージと英語が結びついていれば理解できます。例えばsunriseという単語を聞いたり見たりしたら日の出の風景が思い浮かべられるようになっていればいいのです。

抽象的な概念はイメージがすぐ思い浮かびません。その場合でも日本語では理解していますから、最初はまず英語―日本語―概念と日本語を通して英語と概念を結びつけてもいいと思います。例えばdemocracy=民主主義という具合にです。

しかし、一旦democracy と概念を結びつけることができたら日本語の方は忘れるようにします。この日本語を忘れるというために役にたつのが英英辞典の英語の定義を覚えるという方法です。これについては「英英辞典で表現をつける方法」の章でくわしく説明してうます。

 認知心理学によるとこれらイメージや概念と結びついた語彙は脳の中ではバラバラに記憶されているのではなくスキーマというカテゴリーごとに整理されて蓄積されているといわれています。例えば家族というスキーマには、mother, father, brother, sister, son, daughter, などの一連の語彙が入っています。

また接尾辞や接尾語などで整理される場合や、同意語などで整理されている場合もあります。これらスキーマは英語を理解し、表現するためにはとても重要な役割を果たします。したがって単語はバラバラに覚えるのではなくスキーマという引きだしの中にきちんとしまっておくことが理解のためにも表現のためにも必要です。

英語を正しい音声で覚えていて英語が聞き取れてもその音声がイメージや概念と一致していないと理解できなかったり誤解をしてしまいます。

よくネイティブスピーカーの後に同じようにくりかえして言うことはできるのだけど、意味がわからないという方がいますが、それは英語とイメージや概念が結びついていないためにおこることです。

くりかえして言えてもその意味がわからなければオウムと同じです。「わかる」「理解する」ことなしに言葉は意味を持たないし、使えないし、すぐ忘れてしまいます。

これまでの英語学習はこの「わかる」「理解する」ということを日本語にたよってやってきました。英語を日本語に訳してそして理解するという方法だったのです。しかしこれからは英語で理解できるようにならなければいけません。

この「人間は言語をイメージや概念としてどう理解しているのか」という問題を主にあつかっているのは認知心理学という学問です。現代の応用言語学はこの認知心理学に大きな影響を受けています。その内容はかなり複雑で「単語の意味がわかる」「文の意味がわかる」「文章の意味がわかる」の3つのレベルで違った説明が必要です。それぞれについて説明します。

では次に英語を知的に理解できるとはどういうことかを考えてみたいと思います。

英語を直接理解するということは英語を日本語に訳さずに聞いた瞬間に理解できるということですが、英語を聞いて理解するにはまず英語を聞き取れなければなりません。英語を聞き取れるためにはどんなことが必要なのでしょうか?

まず英語が聞き取れるためには英語を正しい音声で覚えていなければなりません。「英語が聴き取れるということは、頭の中に記憶されている英語の音声と、耳で聞く英語の音声が一致する」ということだからです。 逆に頭に記憶されている音声が英語の正しい音声と違うと、正しい英語の音声を聞いてもわかりません。

正しい英語の音声を覚えていないと聞き取れない例として私の失敗談をひとつお話しましょう。 知人のユダヤ人がイスラエル大使館に行きたいというので、大使館に電話で問い合わせて道順を聞いていた時のことです、相手がしてくれた英語の説明の中に「タヌ」という言葉がでてきたのです。私はその意味がわからなくてWhat does a 「タヌ」mean?と聞きました。相手は「そんなことも知らねーのか」といった口調で説明してくれたのですが、tunnelのことだったんです。私は当時tunnelは「トンネル」だと思っていましたから「タヌ」と聞いても全然わからなかったんです。

「牛乳」のことを「ミルク」と覚えていると、正しい英語の音声で「ミヨコ」と聞くと何のことかわかりません。Do you have a 「ネコ」?と聞かれても何のことかわからない人はnickel(5セント硬貨のこと)を「ニッケル」と覚えている人です。

このように英語はまちがった音声で覚えると、正しい音声の英語を聞いても理解ません。話す時にも正しい音声で話さないと通じません。だから正しい音声で英語を覚えることは英語学習の基本となる最も大切なことなのです。

日本の英語教育はこの正しい音声で英語を覚えるということをないがしろにしています。英語の音声ははカタカナで代用することが多く音声記号がまともに読める人はごく少数です。これでは英語が聞き取れるわけがありません。

読めばわかるけど、聞いてわからないという場合は英語を間違った音声で覚えている場合がほとんどです。

非言語コミュニケーション要素(Non-verbal communication)とは言語以外の方法でコミュニケーションをとる手段をいいます。例えば絵や図、写真、グラフなどの視覚補助、対人コミュニケーションではジェスチャー、視線の合わせ方、顔の表情、相手との距離、身体的接触、衣服や髪型、アクセサリーやメイクアップなども非言語コミュニケーション要素に含まれます。

調査によると実際のコミュニケーションの70%はこうした非言語コミュニケーション要素によるものだそうです。したがって英語を理解する時も非言語コミュニケーション要素は理解を助ける重要な道具になります。文字を見ただけでは理解できないこともイラストや写真があるだけで楽にできることも多いです。

テープ教材を使うよりも、テレビやビデオを使ったほうがビジュアルなものがある分だけ理解を助けます。また会話の中で相手の話している内容を理解している時も顔の表情や視線の合わせ方などから私達はいろいろな情報を得てそれが理解を助けているのです。

初級者のうちは英語のイメージがすぐにわきませんから、特に非言語コミュニケーションから選られる情報が大切です。できる限り言語以外の助けが得られる教材を選ぶようにしましょう。

理解というと知的に言葉の意味を理解するということだけを考えがちですが、実は理解にはもう1つ感情的理解があります。そして私は人間が言葉を理解するときは、知的理解より感情的理解の方が先だと思うのです。

たとえば赤ん坊が小さなブロックを口に入れようとします、母親はそれを見て「健ちゃん、ダメッ!」と叫びます。赤ん坊はビクッとしてブロックを口に入れようとするのをやめます。この時赤ん坊は「ダメッ」という言葉を知的に理解しているのではなく、母親の強い言葉の調子に反応して、「これはいけないことだ」と理解しているわけです。

逆に「いい子ね」とニコニコしながらやさしく話しかければ、子供はほめられていると思ってうれしくなるでしょう。これも言葉の意味を理解しているのではなくて母親の言葉の調子に反応しているわけです。

つまり人間は言葉の意味を理解する前に言葉の中の感情的に理解し、知的理解というのは感情的理解の後に来るのが普通だということです。

この感情的理解は日本の英語教育ではほとんど考慮されていないといっていいでしょう。しかし感情的理解は言語習得にとってとても大切な要素だと思います。

私が英語の音声教材を選ぶ時その教材の音声が生きているか(自然に本当の感情が入っているか)ということが1つの基準になるのはこうした理由からです。

スペリングを覚えたり、文を文法で分解して理解する前に生きた英語の音声を聞いてその音の中に意味を感じ取らなくてはならない(感情的に理解しなければならない)と思うのです。そしてその感情とともに英語を素直に覚えていけばストレスやイントネーションなども自然に覚えられ、英語を自然な調子で使えるようにもなります。

コミュニケーションでは情報を伝えるという作用とともに感情を使えるという作用もあります。日本の英語教育はあまりに言語の情報を使えるという作用のみに着目して言語を知的に理解しようとばかりしているから楽しくないのです。

コミュニケーションには感情を伝えあうという楽しさがあることを皆さんに是非知っていただきたいです。

単語はスキーマという階層で整理されて記憶されていると説明しました。したがってカテゴリーごとに関連語句をまとめて覚えていくのは良い方法です。

単語をカテゴリーごとに覚えていく時に便利なのがシソーラスと言われる同意語辞典です。しかしネイティブスピーカーが使うものは単語だけが並んでいて学習者には使いずらいのが難点です。

そこで私がおすすめするのが以下の3冊の学習者用同意語辞典です。 これらの辞書は同じカテゴリーに属する単語をまとめてのせているもので、1つの単語をひくとその前後にその単語と関係した単語がたくさん並んでいるので単語を整理しながら覚えるのにとても役にたちます。

LONGMAN LEXICON of CONTEMPORARY ENGLISH

アルファベット順ではなくカテゴリーごとに単語を整理してあります。単語をひくときは後ろの索引からひきます。さし絵が豊富です。

LONGMAN ACTIVATOR カテゴリーのタイトルになる単語はアルファベット順に並んでいて、その単語のいろいろな意味ごとにさらにサブカテゴリーがあり関連語句が並んでいます。口語表現などもたくさん含まれ使い方の説明が細かいのが特徴です。

OXFORD WORD FINDER 一番新しい辞書です。他の二冊に比べてコンパクトにまとめられています。LEXICONとACTIVATORの中間ぐらいに位置する内容です。

THE RANDOMHOUSE THESAURAS 上の3冊ではもう調べる単語がなくなってしまったという方におすすめのシソーラスです。シソーラスですが例外的に見だし語すべてに例文がのっているので学習者にも使えます。同意語は単語しかのっていませんからもう1度調べなおす必要があります。

さらに 英英辞典使用法の項目もご覧ください

英英辞典の定義を覚えていくと、今まで日本語で覚えていた意味ではなく英語の意味のほうが思い出せるようになります。英語を見たり、聞いたりしたら日本語がすぐ浮かんでしまっていたのがだんだんとれてイメージや他の英語を思い出せるようになれるのです。

それに英語を聞いたり見たりした時にこれをどう説明したらよいかと考えることが習慣化しますから、一人でいるときもあれかれと英語で考えることができるようになります。

英語の意味を英語で考えるということは相手がいなくても一人でできることですから、これによって英語をアウトプットする練習にもなるのです。

覚えた定義の量が増えてきたら、まず英語を自分の言葉で説明してみてから辞書の定義を見るといいでしょう。日本語から英語へという従来の作文ではない、作文練習ができます。

英英辞典を調べていると日本語訳と英語の定義に結構差があることに気付きます。

例えば cook は日本語では「料理する」ですが英語の定義は to prepare food for eating by using heat. ですから熱を加えなければいけないことがわかります。

したがって英語では cook a salad とは言えなくてmake a salad といわなければならないことがわけです。

climb は 普通「登る」と訳しますが英英辞典の定義は to move up, down, or across something, especially something tall or steep, using your feet and hands.ですから「上がる」だけでなく「下がったり」「横切ったり」する時も使えることがわかります。 それに using feet and hands とありますから、同じ富士山に登るのでも車で5号目まで行って帰ってくるのでは climb したことにはなりません。この場合は go up to the fifth station by car になります。

こうした細かいところまで意味がわかってくると正確に英語が自信を持って使えるようになります。

形容詞というのは全般的に日本語でも意味があいまいですが英英辞典の定義を見ると意味がより具体的になります。

例えば jealous は嫉妬するということですが、具体的にはどんなことでしょうか。英英辞典を見ると feeling angry and unhappy because someone has something that you would like と書いてあります。「なるほどそうだ」と納得できるのではないでしょうか。

 また cozy という単語は「居心地がいい」と訳されますが英英辞典をひくと a place that is cozy is small, comfortable, and warm などと書いてあってなるほどcozy corner という喫茶店は小さな店だったなと納得できたりします。

形容詞は使い方も大切ですから、定義の他に使い方がわかる句を覚えておきましょう。

例 be jealous of his success    a cozy room

認知心理学のよると人間は単語の意味を覚えるときに無意識のうちにスキーマという階層で分類して理解しているといいます。たとえばsnakeはcreature(生き物)→animal(動物)→reptile(爬虫類)→snake(へび)という4つの階層によってだんだん意味が絞られてその定義は確定されます。

animal の定義を見ると  animal = a living creature that is not a plant と書いてあって「plant(植物)でない生き物」だということがわかります。

次に reptile の定義を見ると  reptile = an animal such as a snake or a crocodile that has a scaly skin and lays eggs とありますから、「うろこのような皮膚をしていて卵を生むへびやわにのような動物」ということがわかります。

さらに snake の定義を見ると  snake = any of various types of long, legless, flesh-eating reptiles which crawl on the ground or move through trees とあり「長くて足がなくて地面をはったり木の間を移動する爬虫類」ということがわかります。

そしてこれらすべての定義で意味を限定しているのが whichや that といった関係詞節です。もともと関係詞は名詞を文で修飾して意味を限定するのが役目ですから名詞の定義で大活躍するのは当然です。

ほとんどの名詞の定義は関係詞を使って説明されているといっても過言ではありません。 したがって名詞の定義を覚えていくと関係詞の例をきわめて自然に大量に覚えることになりますから関係詞の使い方がとてもうまくなるのです。

よく参考書などにのっている I have a friend whose father is a doctor. などといういかにも作った例文など使わなくても関係詞がどういうふうに使われるのかというのが感覚的にわかります。

ロングマン英英辞典はすべての語が2000語の範囲内の定義語で定義されています。この定義語に出てくる2000語は英語の中で日常頻繁に使う最も重要な単語です。

よく英英辞典をひいても定義の中にわからない単語がでてくるという方がいますが、この2000語の中に知らない単語があるということはかなり致命的なことだといえます。

見だし語の中にわからない単語がでてくるのは当然ですが定義の中に出てくる単語がわからないというのは相当問題だと自覚しなければなりません。すなわち定義の中にでてくる単語はみなさんが何をおいてもまず覚えなければいけない単語だということです。

またこの2000語ですべての単語が説明できているといことはこの2000語を自由自在に使えるようになればすべてのことを英語で説明できるということを意味します。

英語で何かを表現する時に大切なのはいかにやさしい単語を使っていろいろなことを説明できるかです。難しい単語を思い出せなくてもやさしい単語でその意味を説明できれば相手に自分の言いたいことを理解してもらうことができるからです。

英英辞典の定義を毎日覚えていくとやさしい英語で難しい英語を説明するのがうまくなりますからみるみる表現力がついてきます。

英英辞典の定義を覚える方法の目的はこの最重要単語2000語を使ってやさしい英語ですべてのことを自由自在に説明できるようになることです。これができればみなさんは英語でいろいろなことを説明する達人になれるのです。

この勉強に使う英英辞典は英語学習者用のものを使って下さい。どれが学習者用のものかわからないと困りますので、おすすめできるものを3冊あげておきます。

Longman Dictionary of Contemporary English. 3rd Edition. (LDOCE3) 『ロングマン現代英英辞典』3訂新版. 桐原書店, 1995. 外国人学習者のための英英辞典。全ての語が2000語の定義語によって定義されていて、初心者にも使い易い。文定義も一部に採用されている。

Oxford Advanced Learner's Dictionary. 5th Edition. (OALD5).開拓社. 上記と並ぶ代表的な学習用英英辞典。LDOCE よりはやや高度。動詞型、形容詞型などが記載されていて便利だが、習熟に時間がかかる。

Collins COBUILD English Dictionary. 2nd edition. (COBUILD2). 完全な文章による文定義を採用している。用例はすべて実際に用いられた最新のデータから採用されている。

これよりやさしい英英辞典もありますが、最終的にはこの3冊レベルのものが使えるようにならなければ困りますので、このうちどれか1冊を選ぶようにしてください。この3冊は上級者になっても使える辞書です。

 ここではロングマンを使って説明します

Q. NHKのラジオ講座をテープに録音して聴いているのですが、CDラジカセの調子が悪いので別の手段を考えています。 聞き逃さないためにもタイマー録音は絶対なんですが、やはりラジカセしかないんでしょうか。もうカセットテープは使いたくないんですが… ラジオ講座を聴いている方で、もっといい方法をご存知の方がいらっしゃったらアドバイスお願いします。

A. 私はソフィアシステムズというところから出ているラジオサーバーというラジオ講座専用録音機を使っています。 この機器は設定したラジオ講座を自動的に内部のハードディスクに録音してくれ好きなときに聞くことができます。

録音形式はMP3ですから、内部のハードディスクがたまってきたらUSBでコンピューターにデータを移して保存しておくこともできますし、iPODなどに移して持ち歩くこともできて便利です。 リピート機構もついていますからディクテーションなどをするときに役立ちます。

 多少値が張りますが、ラジオ講座がいつでも確実に聞けることを考えれば十分もとがとれると私は思います。下のリンクからラジオサーバーの説明を読むことができます。

ラジオサーバーの説明

さらに NHKラジオ講座 の項目もご覧ください。

英語は覚えただけではなかなか使えるようにはなりません。そこで英会話入門で覚えた表現を使える状況を自分で考えて自分の言葉の中でその表現を使ってみるといいと思います。

たとえば cinch (簡単なもの)という表現を覚えたとします。この表現を使える場面が自分の生活の中でないかと考えてみればいいのです。そしてこんな例文を作ってみます。

"How was the TOEIC test?"
"It was a cinch!"

こうやって一回使ってみれば次の機会も使いやすいでしょう?想像力を使ってできるだけリアリティのある状況を考えてみて下さい。

英語は覚えないと使えるようになりません。完全に覚え立って使えるようにならないのですから、うろ覚えの英語など使えるわけがありません。したがって英会話入門のスキットは何も見ないでスラスラ言えるようなところまで覚えなければなりません。

覚える時は必ず録音したテープをよく聞いて同じように言えるよう真似をしながら覚えていくようにしましょう。これは聞き取りの力をつけ、自然な調子で英語を話すようになれるためには大切です。 テープを聞きながら、イントネーションやストレスなどを書きこんでいくと、後で復習する時に役にたちます。

火曜日になったら月曜日の分も復習し、水曜になったら月曜日と火曜日の分のスキットを復習します。最低一週間分のスキットは覚えておくようにしておきましょう。すべてのスキットをずっと覚えておくのは難しいですが、何度も復習をしたほうが表現は定着します。

私の学校ではインテンシブインプットというクラスで友達と組んでその週のスキットを正しい発音で覚えられているかどうかをチェックしています。 毎日のスキットだけをテープにまとめておいて、3ヶ月分くらいのスキットだけを集めたテープを作って、時間がある時にこれを聞いていると効率よく復習ができます。

国際化時代には読んだ英語を速読速解する力や聞いた英語を英語のまま理解する力が必要になります。

今までの読解はスピードはあまり関係ありませんでした。時間はかかっても英語の意味を正しい日本語に訳せればそれでよかったのです。しかし情報化が進み大量の英語を処理しなければならない現代においては「読むスピード」が大切です。1時間かけてペーパーバックが2ページしか読めないのでは話になりません。国際化時代には大量の英語を読み迅速に理解する速読速解の力が要求されるのです。

また情報は書かれているものばかりでなく、聞く情報もあります。英語は読めるばかりでなく、聞いてわからなければいけないのです。聞く情報はその場で音声として消えてしまいますから、読む場合のように後戻りして聞きなおすわけにはいきません。

以上2つのことは英語を日本語に訳して理解していてはできないと思います。日本語に訳しているのでは読む速度はあがりません。また聞く場合も日本語に訳している間に次の英語が耳から入ってきてしまいますから、速度についていけず聞き取れなくなってしまうからです。 したがって「国際化時代には英語を日本語に訳さず直接英語のまま理解する英語学習法をとらなくてはいけない」というのが私の考えです。

昔の英語学習は外国の情報や考えを知るための受信型のものでよかったのですが、国際化時代には英語を使って情報や意見を発信することが大切になってきます。すなわち英語を話す、書く能力が重視されるようになってくるということです。

さらに発信する量も増え、限られた時間の中で発信するようになりますから「スムーズな発信ができること」が大切です。時間をかけてゆっくりやるのではなく、いつでもとっさに自由自在に英語で発信できるようになっていなければなりません。

発信する時にその都度日本語で考えたものをいちいち英語に訳していたのでは時間がかかってスムーズに英語を使うことはできません。だから私は国際化時代には発信すべき内容を直接英語で思いつけるような勉強法をとるべきだと思うのです。

Yさんの質問

いつも有意義なメールマガジンありがとうございます。質問があります。「リスニングセクションPART1のテクニック」というコーナーで紹介されていたリピーティングですが、これは短い長さの英文を一度全部聞いたあとに、同じ文章をリピートするという勉強法ですか?シャドウイングとは異なるのですよね?

私の回答

そうです。シャドウイングは英語を聞きながら、聞き終わる前に話し始め、話しながら、次の英語を理解する方法ですが、私の言っているのは短い文を全部聞いて、その後リピートする方法です。

Yさんの質問

 私はNHKの「やさしいビジネス会話」(主に最初に単独で読まれる5つの文章)をリピーティングしたことがあるのですが、ナチュラルスピードの上私のレベル(TOEIC L330位)ではちょっと長いらしく満足にできたことがありません。

私の回答

「やさいいビジネス英語」の文はリピートするには長すぎて難しいと思います。リピートするにはその瞬間は文全体を覚えていなければなりません。長すぎる文では覚えきれないと思うのです。聞き取れていなくてリピートできないのか覚えきれないのでリピートできないかわからないのではリスニングの練習としてはあまり効率がよくないと思います。 TOEICのPart1の文は短いですから、覚えきれないということはないでしょう。

Yさんの質問

無理に続けたらできるようになってくるでしょうか?それとももっと短い(単文)文章に変えた方がいいでしょうか?アドバイスお願いします。

私の回答

通訳になるのであれば、聞いた英文を覚えておく力(リテンション)は大切ですが、そうでなければ短い文で練習すればいいと思います。短い文がリピートできるようになってきたら、だんだん文の長さを長いものにして練習して、リテンションの力をつけていったらいいと思います。

リピーティングをすることにより、英語のリダクション(音声の連結、脱落)に慣れることができます。

英語は個々の単語を発音するときと、文の中で発音する時では発音の仕方が違う場合があります。これをリダクション(音声の連結、脱落)といいます。例えば I am going to が I'm gonna になるような現象です。

活字を見て発音するとどうしてももとの個々の単語の発音にとらわれてしまいますが、リピーティングは耳で聞いた音をそのまま再生しますから、リダクションを正確に覚えることができ、これがリスニング力の向上や、よりネイティブスピーカーに近い発音で英語を話すことに役にたつのです。

聞いた英語が聞き取れていないと、普通はリピートできませんから、リピーティングをやるとどこが聞き取れていないかすぐわかります。

似た練習にデクテーションがありますが、ディクテーションの場合は聞き取れていてもスペリングがわからなければ書けないので、聞き取れること+スペリングを知っていることが要求されます。

またリピーティングの方がディクテーションより書かない分だけ時間もとられませんから速くできます。それにウオークマンなどを使えばどこでもできますから、机や筆記用具が必要なディクテーションより気楽にできるのも良いところです。

音読の場合は発音を間違って覚えていても気がつかないことがありますが、リピーティングの場合は必ずネイティブスピーカーの発音の通りにくりかえしますから発音を正確に覚えられます。

例えば音読している時にbomber(爆撃機)という単語がでてくると、うっかりすると「ボンバー」と発音してしまいますが、リピーティングの場合は発音された通りに繰り返すので「ボマー」とbは発音しないことはすぐにわかります。

発音を正確に覚えるためには音読よりリピーティングの方がすぐれていると言えるでしょう。

PART7はリーディングの問題です。ビジネスマンが日常よく目にする、メモ、納品書、レター、広告などを読んでそれについての英語の質問に対する答えを4つの選択肢から選ぶ形式です。

TOEICのリーディングは大学入試でよく出題されるような構文を理解をしているかどうかを見るためのの問題ではありません。どちらかといえば「読む」というより必要な情報を「探す」問題だと思います。

例えば手紙であれば誰あての手紙なのか、どんな目的の内容なのか、返事はどこに出せばよいのかなどが大切な情報です。広告であれば、どんな職種を募集していて、どんな人を応募しているのか、応募の方法はどのようにするのかなどが知るべき内容です。

設問は大抵このような情報を探して答えを選ぶようになっていますので知るべき内容をいかに速く的確に探す技術が必要になります。

テクニックとしてはリスニングの時と同じように、まず設問を読んでどんな情報を探さなければならないのかということを頭に置いてから、本文を読むようにします。本文を読んでから、設問を読んでまた本文に戻るのでは2度手間になります。

それからTOEICで出題される読みものの形式に慣れていなければなりません。たとえば英語の注文書には何がどこに書かれているのが知らなければ、情報を探すのが遅くなります。

また広告などではよく略語などが使われますから、その意味を知らなければトンチンカンな答えをしてしまうこともあるでしょう。出される読み物は限られていますから、何度か練習すれば形式にはすぐに慣れると思います。

あとは速読の練習です。練習する時は必ずストップウオッチなどを使って時間を区切って速く読む練習をしなければいけません。

TOEICテストは限られた時間で速く大量の英語を読んで処理しなければいけないのが難しいのです。前回お話したようにいかに情報を見つける「スピード」を速くするかがTOEICのリーディングのポイントです。  

今日からリーディングセクションのテクニックの説明に入ります。

TOEICのリーディングセクションで最も大切なことは「スピード」です。TOEICの問題は文法の問題もリーディングの問題も大学入試や英検準1級や1級よりやさしいと思います。しかし量はずっと多いです。だからのんびり問題を解いていくと全部の問題をやりきれません。ポイントは問題の解答をいかに速く見つけるテクニックということになります。

リーディングセクションはPART5とPART6の文法の問題と、PART7のリーディングの問題は同じ時間内で解くことになっています。したがって文法問題とリーディング問題の時間配分がとても大切です。

 リーディングの問題が解ききれない人のほとんどは文法問題に時間をかけすぎている場合が多いです。文法が苦手でなかなか答えが見つけられないので、つい考えこんでしまってその結果その後のリーディングの問題に使う時間がなくなってしまうのです。

PART5とPART6の文法問題を解くスピードのめやすとしては1問あたり30秒から40秒と考えていてください。それ以上時間をかけている人は時間の使いすぎです。

ちょっと考えて解答が見つけられない問題はとばしてどんどん先をやっていきます。これらの問題はリーディングを解き終わって時間が余ったら戻ってきてやりなおせばいいのです。

時間をかけても解答が見つけられない文法問題に時間をかけるのではなく、時間をかければより確実な答えが導き出せるリーディングの方になるべく時間をかけるようにするべきです。 TOEICの文法問題は出る問題パターンはほぼ決まってしまっていますから、そんなに難しくはないと思います。どれでもいいから一冊TOEICの文法用の問題集を買って、穴がないように項目ごとにつぶしていきます。

なぜその答えが導き出されるのかという理屈を覚えておかなければなりません。わからなければ調べるとか、先生に聞くとかしてなぜその答えを選ぶべきなのか納得できるようにしてください。

あとはいろいろな問題がまざった練習問題をいくつもやって速く答えが見つけられるように練習するだけです。 文法問題の練習はダラダラやるより短期間に集中して勉強してしまったほうが能率がいいと思います。

問題量をこなすにしたがって「ああまたあのパターンか」というように答えが自然に見えてくるようになります。

PART4はある程度長さがある英語のメッセージを聞いて、それに関する書かれた質問文を読み、書かれた選択肢を選ぶ形式です。 内容は録音された電話のメーッセージ、短い広告、アナウンス、天気予報など日常よく耳にする英語の情報が含まれます。

「最初に質問文を読んでおいてから、英語を聞く」というテクニックはPARTt3と同じです。ただしPART4の場合は1つのメッセージに対し、2問ないし、3問の問題がありますから、読む量が増えると同時に複数の質問の内容を覚えておかなければならないのがPart3より面倒です。

答えがわからなければ、カンで選んでマークして先にすすみ次の問題文を読む時間を確保するのはPART3と同じです。

PART4ではいわゆるメッセージの中の大切な情報を抽出することが大切です。例えば、映画の時間を教える電話の録音メーッセージではどんな映画が何曜日に何時から上映されているのかという情報をピックアップします。

天気予報の場合は天気の移り変わり、注意報などの情報が大切です。 全部が聞き取れなくても鍵になる情報がピックアップできれば、正答は選ぶことはできます。

私たちが日本語でこうしたメッセージを聞く場合でも、全部を聞いているわけではなく、無意識で大切なところだけを聞いているのです。

出題されるメッセージの種類は限定されていますから、練習をつめばそれぞれのタイプでどこを聞けばよいかというコツはすぐつかめると思います。

PART3は2人の短い会話を聞いて、その会話に関する書かれている質問を読んでそれに対する答えの選択肢を選ぶ形式です。このパートは特にテクニックがものを言うセクションです。

コツはまず選択肢の質問を読んでおいて、どんなことに答えなければならないかということを頭に置いてから、会話を聞き、それから選択肢を選ぶということです。会話を聞いてから、質問を読んでいるのでは時間が足りないし、どこのポイントを聞くべきなのかがわからないまま会話を聞きますから、正答を選ぶ確率も下がってしまいます。

ではどうやって会話を聞く前に問題文を読む時間を作るのでしょうか? PART2が終わると、PART3の問題形式の説明が英語で流れます。これは無視して、PART3の問題をできる限り読んでおきます。そしてPart3の最初の問題の会話が流れてきたら、よく聞いて次に選択肢をすばやく読んで、正答を選びます。

選び終わったら、すぐ次の問題文の質問文を読んで次の会話文が流れてくるのに備えます。 これをテンポよく繰り返します。答えに迷ってぐずぐずしていると次の質問文を読む時間がなくなってパニックになります。うっかりすると3、4問連続して落としかねません。したがって答えがわからなかったら、その問題はあきらめて、カンでマークするか、飛ばしてしまって次の問題文を読むようにしなければいけません。

飛ばしてしまったところは後で必ず(適当でいいのですから)マークしておきましょう。マークしていなければ0点ですが、マークしておけば四分の一の確率で正答になります。

 この「質問文を読んでから聞く」というテクニックを知っているかいないかでは正答率に大きな差がでます。高得点者はほぼ間違いなくこのテクニックを使っていると思います。

それからPART3はリスニングのセクションですが、実際は問題文をすばやく読まなければいけないので、速読速解力も試されています。ここでも英語を日本に訳して理解しているひまはありません。

内容に関してはPART3は会話ですから、状況の把握が大切です。誰と誰が、どこで、何の目的で話しているのかということを的確にとらえる必要があります。 PART3のダイアローグは短いし、ビジネスでよく使われる会話表現がたくさんふくまれているので、正答できなかった会話文はそのまま暗記してしてしまうと自分で話す時にも役にたつでしょう。

Part2は質問に対して最も適切な応答を3つの選択肢を聞いて選ぶ形式です。他のセクションは少なくとも問題文や選択肢を読まなければなりませんが、このセクションはすべて聞くという作業だけで答えを選びます。それだけに集中力が要求されます。

最初に聞こえてくる文は必ず疑問文です。そして何を聞いている疑問文なのかを正確に把握することがこのセクションで正解を選ぶポイントになります。 疑問文はほぼ最初に発せられる疑問詞で何を聞いているのか決まってしまいます。したがって最初の疑問詞の部分に最大の注意を払ってよく聞かなければなりません。

最初の単語がwhoなのかwhereなのか、それともwhenなのかということで選ぶ答えがほぼ決まってしまうからです。

もう一つ大切なのは時制です。質問が過去形だったのか、現在形だったのか、未来形だったのかということで答えを選別する場合がよくあるので時制にも気を配らなくてはいけません。未来形で聞いている質問に過去形の選択肢などを選ばないようにしてください。

「最初に聞こえてくる疑問詞」と「時制」。この2つを聞き分け、質問の機能をよく理解し、それに対する回答を選ぶのがPart2克服のコツです。

答えに迷ったらどれか適当にマークして次の質問に集中します。あせって集中力が欠けると次の質問のポイントも聞き漏らしかねません。わからなかったらあきらめてすぐ次の質問に集中する切替の早さも必要です。

Part1 は写真を見てその流れてくる4つの英文の中から、写真を描写してある文を選ぶ形式です。

Part1 はリスニングの問題の中では最もやさしく初級レベルの受験生でも7割くらいはとれます。したがって高得点を狙う受験生はこのパートは一問たりとも落としてはいけません。 P

ART1は問題はやさしいですが、リスニング力を高める上での基本がつまった重要なセクションですからしっかり勉強しましょう。

私がおすすめするPart1の問題の練習法はリピーティングです。テープから流れている英語を聞いて、トランスクリプションを見ないで、同じように言えるようにくりかえします。リピートできれば聞き取れていますし、リピートできなければ聞き取れていないことになります。 実際はリピートできなくてもだいたいの意味がつかめれば、答えを選ぶことはできるのですが、高得点をねらう人は細かなところまで正確に聞き取る力をつけたいところです。その為にはPart1で使われるような短くてイメージがわきやすい文をリピートすることはとても役にたちます。

実際にやってみるとわかりますが、かなり力のある人でもリピートできない(=正確に聞き取れていない)文が相当あることに気付くでしょう. 聞き取れないのは、英語を今までいいかげんな発音で覚えてきたか、音の連結・脱落(リダクション)に慣れていないかどちらかのことが多いです。

くわしくは私のホームページの「なぜ英語が聞き取れないか?」の章をご覧下さい。

Part1 のすべての文が正確にリピートできるようになれば、他のリスニングセクションの得点も飛躍的に上がります。是非ためしてみて下さい。

I さんの意見

 現在、東京大学工学系大学院の授業は、半数以上の大学院生が留学生であることもあって、大半の授業が英語で行われています。

ひとつの案として、日本の大学を一定以上の割合で留学生を受け入れる国際型大学とそうでない日本型大学とに分け、国際型大学では phnx さんのおっしゃられるシステムをとるとしたらどうでしょう。日本の各大学は、受験者数の低減とそれにともなう学生の質低下に悩んでいますが、その問題を解決するためには、留学生が学びやすい環境を作り、留学生を増やさざるを得ないと思っていますが、その方向とも合致しますね。

このような国際型大学に入るために何年も浪人する人が出てきたり、留年生が増加するかもしれませんが、それは仕方がないでしょうね。国際型大学では、外国人も教授になりやすくなるので、日本人学者も頑張らなければならない。大学教授受難の時代ですねぇ~(笑い)

Sさんの意見

日本語だけで高等教育を受けることができるというのは、日本の大いに誇るべきことであり、日本の強みでもあります。 英語で講義の効率が低下するぐらいなら、日本語で高度な教育を受ける方がはるかに意義があります。

「大学では英語」という国もありますが、その国の言葉で書かれた教科書を出版することに文部省などは補助金を出していると聞いています。やはり、母国語で学べるなら、それにこしたことはないからで、その方がレベルアップにつながるわけです。

将来、研究者として英語で論文を書くことになるとしても、まずは発表すべき内容がなければなりません。外国語の修得に比重を置きすぎることは本末転倒ではないでしょうか。(分野にもよりますけど)

 私の意見

私は高度な教育を受けるためにも英語は必要だと思います。自然科学であろうと、社会科学であろうと学問はどんどん進歩しています。世界各国で各分野の学者が次々と最新の理論を発表しています。そして論文のほとんどは英語で発表されるのです。 つまり学問の世界では英語が共通語だということです。

こうした論文を読みこなし、自分でも英語で発表できなければどんどん時代の波に取り残されてしまいます。日本人の書いた日本語の論文だけ研究しているのでは「井の中の蛙」になってしまうと思います。

現実に学校における英語の公用語化として一番可能性があるのは大学レベルではないかと思います。以下のような案はどうでしょう。

まず大学の入学試験にTOEFLを採用し合格点を500点に設定します。最初の2年間は英語を読む、書く、話す、聞くことを徹底的に訓練します。学校内での日本語の使用は禁止しクラブ活動も含め、学生同士のコミュニケーションもすべて英語のみで行わせます。

次の2年間は一般教養科目や専門科目を英語で教え、卒論も英語で書かせます。卒業はTOEFLで600点がとれることを条件にします。

 ICUや上智の国際学部ではこれにかなり近い形のカリキュラムが組まれていると思います。

私は日本全体で英語を公用語化することは無理だしその必要もないと思いますが、会社内、学校内で英語を公用語化することは十分可能だし効果があると考えています。

実際、多国籍企業では英語を公用語にして、会議は全部英語でやっているところもあるようです。

また学校で英語を公用語にして英語を教えるというのは非常に効果があります。実際、私の教えている学校では英語が公用語です。生徒は校内では日本語は使えません。(間違えて日本語を話すとその都度1000円罰金を徴収しています)

日本で英語を学ぶ上で一番問題なのは英語を使う機会がないことなので、会社や学校内など一定の場所では英語しか使えないようにしてしまうのは英語上達法としてはとても良い方法だと思います。

Pさんの質問

英語の必要性が確かに高まっていますし、phnxさんは英語学校にお勤めですから、英語を推奨なさるのは当然のことと思います。ただ、そのお立場があるにしても、公用語にしたり、英語資料の作成を各機関に強制したりするのをどうお考えですか。

また、日本語はどのような位置を占めるようになればいいとお考えでしょうか。EUで英語偏重でないことはどう見ておられますか。

私の意見

私は国家が国民に言語を強制することには基本的に反対です。戦前には日本は朝鮮(韓国)の人達に日本語を強制した経緯がありますが、自国民であろうと他国民であろうと言語を強制することはやってはならないと私は考えます。

日本には日本語というりっぱな公用語があるのですから英語を公用語にする必要など全くありません。「余計なお世話だ。なんで使う言葉まで国家に強制されなければいけないのか」と思います。

英語資料の作成を義務付けることに関しては、外国人の増加という現状をふまえてサービスの一貫として行政機関が実施するのはいいと思います。しかし民間にまでそれを押し付けるのはやりすぎです。

EUはもともと米国に対して経済的、軍事的に対抗するための勢力を作るために作られたものですし、英語嫌い(?)で有名なフランスのような国を含んでいるのですから英語偏重でないのはいわば当然と言えると思います。

日本語に関してはもっと世界の人に日本語を学んでもらいたいと思います。その為の努力を私達はするべきです。

日本語は中国語、英語、ロシア語、ヒンズー語、スペイン語の次に世界で6番目に話者の多い言語です。フランス語や、ドイツ語より多くの人が使っているのです。私達はもっと日本語を誇るべきだと思います。

Hさんの意見

前回の投稿ではふれんませんでしたが、I locked myself out. と I got locked out. には微妙なニュアンスの違いがあると思います。 I locked myself out. は部屋に入れなくなったのは自分が鍵を持たないまま鍵をかけてしまった事を表し、「自分でやってしまった。」と言うところに重点がおかれるように感じられます。 それに対して、I got locked out. はただ部屋に入れなくなった事を表し、部屋に鍵をかけたのが自分かその他の人かを明らかにしない表現です。そのため、使われかたも違うように感じられます。

例えば、
A: I got locked out. B: Oh, how did it happen?
A: I locked myself out.
のような感じですか?何にせよ、文の意味をどの様にして頭にインプットするかが問題だと思います。

私の意見

ネイティブスピーカーの先生に「ホテルで鍵を部屋に忘れててきました」「あなたは何ていいますか」と状況を説明して聞きました、彼はまず"Oh, No"と言って自分が鍵を忘れて部屋を出てしまった時のことを思い出したように困った顔をして、"I locked my key in my room"と答えました。

 I locked myself out. とI got locked out.はどうかと聞いたらそれも言うと言っていました。「意味に違いはあるか」と聞くと「同じだ」と答えていました。 「ニュアンスに違いはないか,ちょっと考えてみてよ」と聞くと3つの表現を何度も口で出してみて、「ほんの小さな違いだけど」最初の2つは"I am respoinsible for it. I am stupid"というニュアンスがあるがI got locked out.は客観的な感じがするといっていました。

 「その違いを生徒に説明するか」と聞くと、「そんなことはしない、違いはごくごく小さなもので、ネイティブスピーカーでもよく考えて分析してみないとわからないものだから、そんなことまで教える必要はないし、生徒を混乱させるだけだから」と言う意見でした。

私の意見も彼と同じです。ひとつの表現もろくに使えない英語学習者にそこまで教える必要があるかというのは疑問です。この3つの表現はどれを使っても通じますし、ちゃんとスペアキーを渡してもらえます。ホテルのフロントで"I got locked out"と言ったら、"Oh, how did it happen?"と聞かれることはまずないと思います。そういう意味ではこの3つの表現は同じ機能を持っていると考えていいと思います。

文法的に解析して、ごくごくわずかしかない細かなニュアンスにこだわることも時には必要でしょうが、いつもそんなことにこだわっていると英語を自由に使えなくなります。

それよりも、私は状況を説明した時に彼が"Oh, No"と言って本当に困った顔をしたのが印象的でした。私は言語というのは知的に理解することと同時に感情的に経験的に理解することが大切だと考えています。

鍵を部屋に忘れてきた「困った」と自分の過去の経験がよみがえり、その中で "I locked myself out.という表現を覚えることの方がとるにたらないニュアンスの違いにこだわるよりもはるかに重要だと思います。

きまり文句というのは共通した特徴があると思います。ひとつは短いということです。もう一つは意味と気持ちがダイレクトに伝わってくる点です。

これも私の仮説ですが、私はネイティブスピーカーは簡潔で、言いやすくて、意味や気持ちがダイレクトに伝わる表現を無意識のうちに選択しているのではないかと思います。

日本語で考えたことを英訳して話そうとするどうしても英語が長くなってしまいます。「水をいっぱいもらえますか?」を"Will you give me a glass of water?"と言ってももちろん通じますが、ネイティブスピーカーは短くてそのものずばりの"Water, please."という表現の方を好みます。

日本語を長々と英訳しても、「なんかまどろっこしい言い方をする人だな」と思われてしまうのではないでしょうか?

この「表現の経済性」(簡潔に最もわかりやすく意味や感情を相手に伝える)という視点は今までの英語教育に欠けている点ではないかと思います。

Hさんのご意見

 はじめまして。 私も英文を覚えろと言う事に対しては基本的に賛成です。ただあまり明らかでは無いのが、その方法です。英語の数多くの表現は単純な日本語でうまく表現する事ができません。同じ物を表す名詞ですらそれらの持つイメージ、ニュアンスが日本語と異なる事もよくあります。つまり、英語を十分に知らない人が英文を覚える時その文、あるいは表現、単語が意味する物をどの様にして頭にインプットするかが問題となるように思います。

例えば、competition を形容する時に何をイメージするでしょうか?激しいのか、厳しいのか、高いのか、多いのか、熱いのか、すき間が無いのか?本当に難しいですね。

これ追加ですが、I locked myself out. とも言えますが、私がよく聞くのは、I got locked out. または、I locked my keys (in my room). ですね。ここでも、同じ動詞のlock が使われていますが二つの違った用法です。でもこれらを説明するためには長ったらしい日本語が必要です。何かいい方法はないものでしょうか?

私の意見

ご指摘ありがとうございました。 私がI locked myself out. I got lockd out. I locked my keys in my room. という3つの表現を教えるとしたら状況で教えます。

「この3つの意味は同じであり、ホテルで鍵をおいてドアを閉めてして入れなかった時にフロントでスペアキーを貸してもらう時に使う表現です。どれでもいいから一つ覚えなさい」と言って、生徒にペアを組ませ、一人に客、一人にホテルのフロント係をやらせてその受け答えを何度か練習させて終わりです。

lockの用法の使い方は説明しません。この表現を学ぶ上でそんなことは意味がないと思います。この3つの表現は全体で「鍵をおいたまま部屋のドアを閉めてしまいました」ということを表し、大切なのは「スペアーキーを貸してもらいたい」という機能であり、分解しても大した意味はないからです。

翻訳法をすすめる先生方の中にはは「会話でよく使う「きまり文句」を覚えることは応用がきかないから無駄である」という方がいらっしゃいます。しかし、私はこれはおかしいと思います。なぜならきまり文句は便利でみんながよく使うからきまり文句になっているからです。

たとえばホテルのフロントで「キーを部屋においたままドアを閉めてしまいました」と言う時、これをそのまま英訳しようとするとめんどうくさいことになります。付帯状況のwithを使って"I have closed the door with the key left in my room."と訳すこともできますが、ちょっとピンときません。

そんなことを言わなくても、普通は I locked myself out. と「きまり文句」を使えば十分です。これで100%わかってもらえます。この表現を知っていれば何も悩んで難しい付帯状況などという難しい構文を使って訳などする必要などありません。

きまり文句は知っていればいるほどとっさに使える表現が増えます。だからきまり文句はできるだけたくさん覚えましょう。

翻訳法をすすめる先生は「英文法で日本語を英語に訳していく練習をしないと知的レベルの高い複雑な構文は使えるようにならない」といいます。

しかしそんなことはないと私は思います。複雑な構文が使えるようになりたかったら複雑な構文が入った例文をたくさん覚えていけばその構文は会話の中でも使えるようになります。

 私が使っている教材では例えば「話すための英文法中級編」というのはかなり複雑な構文の文がのっています。こうした文をたくさん覚えていけば、会話の中でも複雑な構文を使えるようになっていきます。

また英字新聞の記事で使われているようなレベルの英語が使えるようになりたければ記事に中にでてくるような例文をたくさん覚えればいいのです。

私は自分のクラスでは茅ヶ崎方式のテキストの英文を覚えさせていますがコンスタントに英文を覚えてきている生徒は複雑な構文やかなり難しい語彙を会話や作文の中でどんどん使えるようになっています。

英文法を意識しないで使えるようになるために英文法の構文ごとにたくさんの例文を覚えていくことをおすすめしましたが、メンタルディクショナリーの整理整頓と方法はこれだけではありません。 たとえば状況(Situation)ごとの整理の仕方もあります。「レストランで使う表現」とか「病院で症状を伝える表現」とかいうやり方ですね。 また機能(Function)ごとに整理するやり方もあります。これは「依頼を断る表現」とか、「感謝の気持ちを使える表現」とかいうふうに整理していく方法です。 こうした整理の仕方をする場合は英語は状況のあるスキットの中で覚えたほうがいいと思います。フィニックスでそのために使っている教材はFamily Album USA と Hopes, Loves and Dreams in New Yorkとです。どちらも一つのお話になっていて状況にピッタリの表現を生き生きした感情とともに覚えていけるとても良い教材です。 整理整頓のやり方は文法ごと、状況ごと、機能ごと、といろいろありますが、どの方法をとっても共通している点は「覚えてない表現は使えない」ということです。英語ができるようになりたかったらとにかく一つでも多くの英文を意味のある形で覚える努力をしてください。

ではめくらめっぽうに英語を覚えていけばいいのかというとそうではないと思います。もちろんたくさん英語を覚えていけば英語の脳はできていくのですが、やはり時間がかかります。バラバラの知識ではなく記憶の引き出しに整理整頓するという作業をしたほうが記憶も定着するし、使う時も使いやすいでしょう。

私が脳のプロブラミングのためにおすすめするのは英文法の構文ごとに並んだ例文をたくさん覚えることです。 私は「話すための英文法」という本を使っていますが、「アメリカ口語教本」でもよいでしょう。(詳しくは私のおすすめの英語教材をご覧下さい)

文法書の英文法の説明を読んで納得することも必要だと思いますが、もっと大切なのはその例文をきちんと正しい発音で覚えることです。この作業を続けていくと脳の意識下で英文法がしだいにプログラミングされていきます。

この作業を続けながら、英語を使う機会をたくさん持っていくとそのうち意識しなくても自然にいろいろな英文法の構文を会話の中で使えるようになってきます。 私達が日本語を話す時に国文法を考えないように、英文法は意識せずに使えるようにならなければならないのです。

意識して英文法で英語を使っているうちは英語はスムーズに話せるようになりません。 そのためには正しい英語を正確に覚え(インプット)し、それを数多く使う(アウトプウト)することです。

英文法の理屈を日本語で理解することもある程度必要ですが、それ以上に大切なのは一つでも多くの英文を覚え、それを使う練習をすることです。

英語を分析して理解することで満足して、その先の理解した英語を覚えることをしないから、脳のメンタルディクショナリーの英語は増えていかず、いつまでたっても英語はできるようにならないのだと思います。

私は「英語が英語のまま聞いて理解でき、英語でそのまま自分の言いたいことを思いつけるようになるためには膨大な量の英語を覚えなければならない」と考えます。

なぜなら以前Tさんが説明してくださった「使う英語と使わない英語を瞬時に判断できる」為のメンタルディクショナリーは脳の中に純粋の本当に使われる英語を数多くインプットしていくことなしに形成できないと思うからです。

だから私は「暗記では英語は話せない」とか「どうでもよいきまり文句を覚えることは意味がない」という主張はおかしいと思うのです。「暗記などしなくても単語を文法で組み立てていけば英語は話せるようになる。苦労して英語を覚える必要などない」という考えは、もっともらしいですが邪道だと思います。

私は英語の学習は「英語を吸収すること」=「正しい英語の表現を正確な発音で覚えていくこと」が基本だと思うのです。

「翻訳をしながら英語を話しなさい」と主張する人は英語は文法が正しければ適切な表現になると思っているようですがそうでしょうか?

私は英文法で英文を作ってもそれがネイティブスピーカーが使う表現になるとは限らないと思います。前に説明した「遅れてすみません」は"I am sorry to be late" ではなく" I am sorry I am late."と言うなどということは日本語を英語に訳す練習だけしていたらわからないでしょう。

それに日本語を英語に直訳するとおうおうにして変な英語になることがよくあります。 例えば「日本人は黒い目をしています」をそのまま英語に訳して ”The Japanese have black eyes" と言ったらおかしいことになります。 black eye というのは瞳の色が黒いことではなくケンカでなぐられて目のまわりが黒くなった状態のことをしめすからです。この場合の「黒い目」はbrown eyesとしなければいけません。

 「この席、空いてますか?」を"Is this seat open?" とか"Is this seat vacant?"と直訳しても正しい英語になりません。この場合は"Is this seat taken?"という英語になります。

発想自体が違うのですね。 英語と日本は違う言語体系ですから、一語一語を訳して、文法で文を作ったって正しい英語にならないのです。

やはり適切な英語が使えるようになるためには「ネイティブスピーカーはこういう場合ではこういう表現を使う」ということを一つ一つ素直に覚えていかないといけないと思います。そうでないと「話している意味はわからないことはないんだけど、そんな英語は普通使わないな」とネイティブスピーカーに言われるような変な英語を話すことになってしまいかねません。

第1の問題は「翻訳には時間がかかる」ということです。英語を「書く」場合はある程度時間がありますから、文法のことを気にしながら文を作っていくこともできますが、「話す」というのは一瞬でやらなければいけない作業です。日本語を英語に訳すという方法で話しているのでは時間がかかってスムーズに話すことは難しいと思います。

それにこの方法をとっている人は英語を聞いた時もそれを日本語に訳して理解しようとしますから大変です。「読む」場合にはある程度時間がとれますから日本語に訳しながら理解してもなんとかやっていけますが、「聞く」場合にこれをやっていたらとても速度についていけないと思います。

やはり「聞く」「話す」に関しては英語を聞いたら英語のまま理解し、言いたいことも英語で思いつかなければスムーズなコミュニケーションはとれないと思います。

ネイティブスピーカーは言語を話す時には、文法で文を作りながら話していません。それはみなさんが日本語を話している時に国文法で文を作りながら話していないことからもすぐわかるでしょう。何を話そうかという内容は考えていますが、文法のことは考えていないと思います。「五段活用の未然形は何だっけか」なんて絶対にかんがえないでしょう?

こういうと「母国語と外国語は違う、外国語の場合は文法で文を作らなければ話せない」と反論される方がいます。でも、そうでしょうか? 少なくともこの英語を日常コミュニケーションの手段として使っている人の多くは(私も含めて)英語を話す時に文法のことを意識していません。だから言いたいことを英語で直接思いつくことは可能です。

文法のことを意識しながら話すのはやってやれないことはないですが相当難しいと思います。それにこの翻訳によって英語を話すという方法はいくつか問題があるのです。

私の意見

私はネイティブスピーカーは膨大な量の英語を覚えていて、聞いた表現が自分の覚えている表現の中にあるかどうかということで「それは言う、それは言わない」と判断しているのではないかと思います。

前回説明した"I'm sorry to be late ."がおかしいと思うのは、みんなが"I'm sorry I'm late."と言っているので「なんか変だな」と思うのではないでしょうか? 日本人にはわからない複雑な冠詞や前置詞の問題もネイティブスピーカーは何も考えずに答えられます。これなどルールで説明していたらとても説明しきれないでしょう。

私は表現やストレス、イントネーションなどで迷うことがあると、ネイティブの先生に「あなたはどういうか?」と聞くことがあるのですが、彼らは、私が質問した表現を何度も口に出して確かめています。それはあたかもその表現が自分の脳というコンピューターにどうインプットされているかどうか検索して確かめているように見えるのです。

ネイティブが文法的には説明できなくても瞬時にある表現が正しいかどうかわかるのは、過去に聞いたり、読んだりして覚えている表現にその表現が含まれているかどうかということで判断しているのではないかというのが私の仮説です。

 Tさんの意見

時々お書きになったものを拝見し、教わることが多く感謝しております。 厳密に言うと「文型的」には正しいと言う事だと思います。「This is a desk.」も文型的には正しく、「文法的に」は多くの状況で間違った英語だと言えます。文型以外の他の文法要素に合わないからです。つまり殆ど誰もこう言う英語を使わない訳です。(フィニックスさんは勿論ご存知でしょうが、他の方達がどうしてもGrammar 即ちSyntaxであると言う間違った前提で話されるもので。文法と聞くと、悪しき学校文法に結び付けて考えてしまう様です)

 ネイティブスピーカーは自己の作ったメンタル・ディクショナリーを引きつつそれが正しい表現かどうかを調べている訳です。所謂Lexiconで、これも勿論文法の一つです。この自分が生活上作り上げたメンタル・ディクショナリーもランダムに単に慣れで積み上げられたものではなく、ちゃんとした法に則って整理整頓がキチンと出来ている訳です。ですから瞬時に自然不自然が分かるのでしょう。

ネイティブスピーカーが間違った英語が瞬時にわかるということについて私の仮説を展開したいと思います。

私の学校は校内が日本語禁止で生徒も教師も皆英語でコミュニケーションしています。しかし日本人同士で英語を話しているとどうしても間違った英語がはびこてしまう可能性があるので、それを防ぐためにネイティブスピーカーの先生方に生徒が使っている英語でおかしなものをピックアップしてもらってそれを生徒が見れるところに掲示するという方法で注意をうながしています。

おもしろいのはその中の表現に文法的には間違っていない表現が含まれていることです。たとえば生徒が授業に遅れてきて「遅れてすみません」という時に"I'm sorry to be late."ということがあります。 これは文法的には正しい表現でどこにも間違いはありません。でも普通はそうは言わないというのです。

 「遅れてすみません」は普通は"I'm sorry I'm late."だそうです。"I'm sorry to be late."でも間違ってないではないかと聞くと、「そうだけど、普通はそうは言わない」という答えが返ってきます。 この文法的には正しいけどもそうは言わないという感覚はいったいどこから来ているのでしょうか?

メールマガジンを読んで下さっているKさんから次のようなメールをいただきました。

はじめまして。 メルマガ、利用させてもらっています。 ところで、「なぜ言語を学ぶ環境にない人でも ネイティヴであれ間違いを指摘できるか」という問題についてわたしの意見を書いてみます。

わたしは、大学で言語学と言うのをちょこっとだけやったのですが、みょうに納得するところが多く、目からうろこと言うかんじでした。

まず、子どものころに言語を身につける際には、 習得(私のホームページでは学習という言葉を使っています)と言うよりも獲得(私のホームページでは習得という言葉を使っています)と言うことばが適しているようです。 なぜなら、子どもは言葉を覚える際に、知的労力を使っていないと考えられるからです。

これに関しては、臨界期と言うことばがあり、臨界期を終える前に 適切で一定以上の言語環境に置かれると、こどもはみるみることばをおぼえます。 これは、人間のDNAに言語獲得装置がプログラムされていて、 臨界期にある子どもは、その装置のスイッチボードを次々と設定していくだけなのです。

たとえば、英語圏で育ったこどもはSVOにスイッチオン、日本語で育つとSOVにスイッチオン。 両方使う環境にあると、2個のボードが用意される。 といったかんじです。

ちなみに臨界期は、統語に関しては、15才くらいまで、音に関しては10才くらいまでとされています。 ですから、臨界期を過ぎた後の言語学習は、「習得」(学習)となってしまい、 いくら限りなくネイティヴに近づいても、その言語の使い方が 文法的か、そうでないかをモニタリングすることはできません、 と言うか、学習によって得た知識によってでしかモニタリングしていないわけで、 本能的に間違いに気づくネイティヴとは、間違いの認識の方法は違うようです。 というのが、わたしが支持する考え方です。

チョムスキーと言う言語学者の統語論(Syntax)に関する本を読んでみると、もっと 分かりやすいと思います。

私の解説

ありがとうございます。このマガジンも一方通行ではなくいろいろな方の意見を聞かせていただけると充実します。 Kさんのおっしゃることはその通りで、私も言語学で同じことを学びました。臨界期を境に言語習得が難しくなるのは統計的にも明らかです。

しかし、「じゃあ子供はなぜ自然に言語を身につけることができるのに、大人になると難しくなるのか?」「言語を習得する仕組みはいったいどんなになっているのか」ということについては本当のところはよくわかっていません。

この仕組みを「こんなんじゃないだろうか?あんなんじゃないだろうか?」といろいろなモデルを考えていくのが言語学という学問なのですが、いくらモデルを作ってもそれが外国語の学習に役にたたないと私達英語学習者にとってはあまり意味はありません。

私がこのホームページ(メールマガジン)であつかいたいのは「じゃあどんな勉強法をとったらネイティブスピーカーに近い形で間違いが認識できるようになるのだろうか?」ということなのです。

Mさんの意見

なぜ日本人が文法にがんじがらめになるかと言うと、(言語学者ではありませんが、)僕は単純に次のように考えています。 本来コミュニケーションの道具であるべき英語を習う一番最初に、文法を習ってしまった「不幸」です。

もっと正確に言うと、英語は日本語を置き換えた言語である、という風な誤った理解をさせられるのです。 文法はいわばルールです。このルールは、ほとんど神のなせるわざで、なぜあのようにきちんとした法則で言語が成り立っているのかわからなくても、英語圏の人は英語を日本人は日本語を話せるのです。

田舎のばばちゃんでも、てにをはを間違わずに、しゃべれるのです。ですから、コミュニケーションとしての言葉は、文法で成り立ってはいますが、それを意識した形では実際に使われていないのです。

ただ、ルールにそむいた用法を前にすると、「こいつ間違っている」と「直観的に」指摘できるだけなのです。この指摘は、田舎のばばちゃんでもちゃんできます。

私の問題提起 

ここが言語のおもしろくて複雑なところです。日本人なら変な日本語を聞くとすぐわかります。別に国文法の知識など何もなくても直感的にわかります。

「なぜその日本語が正しくないか説明してみろ」と言われても田舎のばっちゃんはできないでしょう。田舎のばっちゃんはきっとこう答えると思います。「だって誰もそうは言わないもん」 皆さんはこのことについてどう思われますか?

Pさんの意見

ホントに不思議だなあ。これから何十年外国に暮らしつづけても、現地の人と同じ直感を身につけることは不可能と確信しています。ギャップが徐々に縮まるとは思いますが。ボキャブラリー、その外国語での理解力、プレゼンテーション能力などが一般の現地人をはるかに上回ったとしてもです。

オノ・ヨウコがいろんな間違いをしながら話してるというのが自然で、外国人には決して到達できない領域があるように思います。現地の人がいとも簡単にものにしているのにです。それこそ、神の領域?

 Tさんの意見

私はそれ程言語学の知識はありませんが、、、。 第一言語であれば、ほぼ全員が無意識に習得出来てしまう。第二言語であればどんな天才でも、どれほど集中した意識を傾けても勉強してもネイティブほど完璧な言葉の習得は出来ない。それがどうしてそうなるかのメカニズムは、言語学の最大の謎の一つで、決して解く事の出来ない謎ではないかと思います。ですから誰も覗いて見る事の出来ない、「ブラック・ボックス」と呼ばれているのでしょう。

Mさんの意見

本来、英語であろうが、日本語であろうが、話す内容を考えず文法を考えつつしゃべるということは、よほど特殊な状況でない限り、不可能なはずです。僕もプレゼンテーションで英語を話しますが、そのとき英語の文法を考えつつ話すということはありません。考えたことを英語で話しているのです。

いろいろ過去に蓄積してきた表現などが、有機的に結合されて、僕の口から英語として出てくる・・・そういう形以外に、口頭で英語を使ってある概念を伝えるということができるのでしょうか。

Pさんの意見

おっしゃるとおり。ところが、私の観察によると、英文法でがんじがらめになった失語症の方たちはこの不可能をやろうとするんです。なんでかというと、聞く練習、しゃべる練習をしていないというよりは、「間違ってはいけない」という幻影にとりつかれているからと思います。この幻影を育てているのが、日本の英語教育ではないでしょうか。

私(phnx)の意見

私もそうです、英語で話す時は話す内容については考えていますが、英文法で文を組み立てたりしていません。おっしゃる通り「過去に蓄積してきた表現などが、有機的に結合されて、口からでてくる」そんな感じです。だから私は「日本語で考えたことをその都度英語に訳して話す」という勉強方法についてはそんなやり方で英語がスムーズに話せるのかと疑問に思ってしまうのです。

Pさんの意見

 MさんやPhnxさんに賛成です。 私の母国語は日本語、メインの外国語はフランス語で、あと英語を使っています。話しながらふと自分は今どの言葉で話してたっけと思うことがあります。

失語症になってしまう方は、英文法で文を組み立ててから話すとか、自分の言おうとしている文を、あまりにも神経質に頭の中で文法チェックしてしまう癖の持ち主なのかなと想像しています。学校で習う和文英訳って、そういうことでしょ?

聞き流す教材の中には英語と日本語が両方とも入っている教材もあります。英語が流れてそのあとすぐ日本語の訳が流れてくるタイプのものです。この場合は日本語が聞けますから意味はすぐにわかりますので効率は良いように思われますが他の問題があります。

日本語の部分はわからないうちはいいのですが、いったんわかってしまうと毎回日本語の部分も聞くのが非常にわずらわしくなります。英語と日本語があると日本語のほうが印象が強いですから、日本語の部分のほうが印象が強く残り、英語の部分を覚えるさまたげになってしまうのです。

また半分の時間は日本語を聞くことになり、英語を聞く時間も半減しますから、時間あたりの効果も半分に落ちてしまうのです。 私は日本語の部分まで吹き込む必要ないし、入っていないほうがいいと思います。

何度も聞いても英語がわからない場合はトランスクリプション(吹き込んである内容を書き起こしてあるもの)やその日本語訳を読めばすむことだと思います。

耳で余計な日本語を聞くよりわからない部分だけを紙の上で確かめるという方法のほうが全然いいと思います。

もしも聞いてわからない部分が多すぎる場合はその教材は聞き流す教材としては難しすぎます。その場合ははじめからトランスクリプションを全部読んでわからない単語やイディオムも調べて内容を理解してから聞くようにしましょう。

すなわち「習得」で英語を吸収(インプット)したいのであれば、聞いたり読んだりしてだいたい全体の意味はわかるのだが、時々知らない表現が出てきて、その意味が前後関係や、その時の状況、映像などの言語以外の部分などからだいたい想像できる教材を選ばなければなりません。

 「聞き流すだけで英語がマスターできる」という広告が眉唾なのは、その教材が学習者にとって i+1 でないことがほとんどだと思うからです。大抵の人にとっては習得に使うには難しいことが多いと思います。

習得に使うのであれば本屋に行って教材を見て、トランスクリプション(テープの内容を書き取ったもの)を読んで全体の意味はわかるが時々わからないところがあるようなものを買いこれを時間が許す限り大量に聞くようにして下さい。

128)28-07.音読の弱点

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こうして考えていくと音読はすばらしい方法のような気がしますが、音読には弱点があります。それは「速く読めない」ということです。

 音読する時は発声器官を動かしますから、発声器官を動かす速度以上には速く読めないのです。

私達がいろいろなものを読んでいるときは何も一時一句をしっかり読んでいるわけではありません。全体をざっと読んで要旨を把握したり、必要な情報だけをピックアップする時もあります。こうしたスキャニングとかスキミングということをする時には音読は向きません。

要は何のために読むのかということです。自分が使える表現を増やしたり、発音を良くするために読むなら絶対に音読です。でも速く大量のものに目を通し情報を得ることが目的なら、黙読・速読を選ばなけらばいけません。

日本語はどの言葉も似たような強さで読まれますが、英語は強くてゆっくり読まれるところと、弱く速く読まれるところがはっきりしている言語です。

英語を音読する時はこの強弱のメリハリをつけると英語らしく聞こえます。

この事については「語核と英語学習の章」にまとめてありますからご覧下さい。

音読に使う教材は自分が使えない英語が入っているものなら何でもいいでしょう。中学の教科書でOKです。

大切なことは決して自分勝手な発音で読まないことです。最初のうちはネイティブスピーカーが録音したカセット・CDなどを聞いてそれと同じように言えるように音読します。

間違った英語を脳に通してしまうと、正しい英語を聞いても聞き取れなくなりますし、自分で話す時も発音が悪くて通じなくなってしまいます。

発音やインオネーションに気を使いながらネイティブとできるだけ近い発音で読めるように練習します。 発音に自信のない人は音声教材つきでないものは使わないで下さい。

Q.理論的なアドバイスありがとうございます。そうかやっぱり効果はあるんですね。私は今中学の教科書を読んでいますがある本によると300回ぐらいよめば会話も楽になるとのこと。たしかに読むのがはやくなった気はするのですが、でも音読だけでは話したい内容を話せるようにはならない気がします。文を自分で作れるようになりたいのですが、何か言い方法はありませんか?

A.英語の学習とは脳というコンピューターに純粋の英語をいろいろな形で何度も通してやることによって脳の中に英語に反応する細胞や回路を作ることを言います。 音読は目、耳、口、声帯などをすべて使いますから脳に対する刺激が多い分だけ黙読よりいいわけです。

どのくらい読めばいいかということについては「本当に効果のあるところまでやるのであれば読んでいる英語を覚えてしまうまで」というのが答えです。 「英語を話せるようになる」ということは使いたい時にすぐ使えるように頭の中に英語を用意しておくことですから、音読は読んでいるものを本を見ないでも再生できるところまでやらなければいけません。

話す時に本を見なければ英文を思い出せないのであれば話せるわけありません。80回も読めば普通の人はほとんどの英文を覚えてしまうでしょう。

あたりまえの事ですが、音読するためには読んでいる単語の発音を知らなければいけません。音読していって発音がわからない単語にくるとひっかかって先へすすめませんから、この単語はどう発音するかなと思います。

「こういう発音かな」と思って辞書等で発音を調べると正しい発音やアクセント、単語の意味を確認することができます。

クラスで生徒に音読させると間違った発音、アクセント、イントネーションで覚えている単語をすぐ修正することができます。

あてられて音読させられることがわかっていれば、皆の前で恥をかくのはいやですから、学校に来る前に少し練習しておこうかという気持ちになるものです。またうまく読めたらほめてあげるともっとうまく読もうという欲もでてきます。

私は昔受験生に大学入試問題を教えていたことがありますが、入試の英文解釈の英文を音読させるとまともに音読できる生徒がほとんどいないことに驚きます。学校で訳やスペリングばかりテストにでるものだから発音できなくったてスペリングがわかって日本語に訳せればいいという感覚なんですね。

でも言語で本当に大切なのはスペリングや日本語訳でなくて、英語の音声なんです。英語を聞いたり、書いたり、読んだり、話したりする時はすべて心の中で英語の音声を処理しています。単語の正しい発音を知っているということは基本中の基本でこれがすべての出発点です。音読はこのことを認識させてくれます

黙読している時は心の中で声を出して読んでいるわけですが、これではスピーキングの練習になりません。

スピーキングというのはいわばスポーツのトレーニングと似ています。スポーツがうまくなるためには何度も身体を動かしていろいろなトレーニングをしますね。これと同じように英語が正しい発音で話せるようになる為には発声器官である、舌や唇や声帯を何度も動かして鍛えないといけないわけです。

音読をこなしていくと発声器官を何度も使いますから、だんだん舌や唇が英語の発音をすることになれてうまくなってきます。これが後で自分の言葉で英語を話す時にも役立つのです。

.はじめまして2歳の息子を持つ主婦です。どうぞよろしくお願いします。

1歳半から子供を英語教室に通わせています。最初はマザーグースなどの曲で歌ったり踊ったり、ママも参加するタイプの教室でした。 最近、その学校の独自の教材に変わったのですがその頃から息子が あまり授業に参加しなくなりました。(授業といってもお遊びのようなものですが、)多分、飽きてしまったのでしょう。同じ歌、踊り、遊びの繰り返しですから。会話もまだ少なく挨拶程度です。もっと子供の注意をひくような授業にすればいいのに、と思いました。

で、他のスクールのおもしろい先生の所に変わることにしました。そこではフォニックスもやるし、会話中心なので会話力はすこし進歩しました。先生も飽きやすい子供の注意をひくのが上手です。

しかし、最近思うのですが、子供が飽きない授業をやらなきゃいけないってなんて子供中心な考え方なんでしょう。面白くなければやらないっていうのはいいことなのかな?うちにはあらゆる面白い教材(ビデオ、CD-ROM、カセット、英語のおもちゃ)があふれていて、飽きればすぐ他のものをやったりして楽しく過ごしています。だから週1回の英語のクラスに新鮮味がなくなったのかもしれません。もしうちにこんな教材がなければ週1回のクラスも楽しみにして、先生の言葉も1言1句もらさずに集中したのでは?とも思います。与えすぎなのでしょうか。これでは、今のスクールの先生が飽きられてしまうのも時間の問題では、と思っています。

しかし、英語教室は義務教育ではないのでおもしろくなく、いやがるものをしかってまで続けさせる気もないのです。いやがるものを無理にやらせて英語嫌いになっても。とも思うのです。いったいどのように息子を楽しく、英語を習得してもらうように(知らず知らずのうちに)できるでしょうか。 親としてはなるべく自分のわかる範囲では英語で話しかけるようにしています。それは割りと好きなようです。 みなさんのご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。

 

A.英語の大人への教え方と子供への教え方は全く違います。大人は自分で英語を勉強しようという意欲がありますから、効果があることを納得できれば自分でどんどん勉強します。それに対して子供の場合には楽しくないと勉強しません。楽しくないものを無理にやらせると逆に英語が嫌いになってしまう傾向があります。したがって子供中心に楽しく勉強を教える技術や工夫が必要になるわけです。そういう意味では大人に英語を教えるのより子供に英語を教える方がずっと難しいと言えるでしょう。

面白い教材を与えてもそのうち飽きてしまうのはではないかというのも当たっていると思います。そのうち子供に与える手持ちの材料がなくなってしまうのではないかという心配も御もっともだと思います。どうやったら子供を飽きさせない教え方ができるかというのは子供の英語教育の最大の課題です。

私は子供の英語教育の専門家ではありませんが、私なりの解決法を述べてみたいと思います。 私は「子供に大人が与えて、子供がそれを受け取って楽しむ消費型」の楽しませ方では限界があると思います。ディズニーランドのアトラクションと同じで最初はおもしろいのですが何度も使っていると飽きられてしまうからです。 大切なのは「子供が参加して楽しむ型」のもの特に「子供の想像力や創造力を刺激して子供の内部にあるものを引き出す型」の教え方をすることだと思います。

これには大きく分けてゲーム型とドラマ型の2つがあります。 ゲーム型はゲームに参加しその中で勝ち負けをきまっていくような形ものです。スポーツやトランプなんかと似てますね。勝つためにはプレイヤーはいろいろな工夫をしなければなりませんし相手との駆け引きもありますから毎回違った楽しみ方ができるわけです。

ドラマ型はみんなで協力してひとつのものを作っていく形のものです。学芸会の劇作りなんかと似てます。ひとつのもの作りあげるにはみんなが頭を使って協力していかなければ良いものはできませんから、よい結果をだそうと参加者が動機付けられていればかなり熱中します。

フィニックスではカリキュラムにプロジェクトワークというのをとりいれていますがこれがいわゆるドラマ型です。プロジェクトワークはグループで英語劇やビジネスプレゼンテーションを作っていくものですがこれは教える私にとっても大変刺激の多いクラスです。1つとして同じクラスはないのです。参加者が違う、作るプロジェクトが違うので1つ1つのクラスがとても新鮮です。他のクラスのように毎回同じことを教えていればいいというものではないところがプロジェクトワークの魅力です。

こうしたゲーム型、ドラマ型をうまくとりいれているとしておすすめできる子供の英語教室としてはMLS(モデルランゲージスタジオ)があります。(東京近郊に住んでいないと通えませんが・・・・)MLSはドラマ手法を使って英語を教える学校で、野村陽子(奈良橋陽子)先生にはいろいろなことを教えていただきました。

ホームページもあるようですから、1度ご覧になってみたらいいと思います。 小学校からの英語の授業が始まるようですが、私個人としては疑問に思っています。子供に教える英語を教える技術というのはそんなに簡単ではありません。教えることができる先生や環境もそろわないうちにスタートしてしまった観がありますが、これからの進展を期待したいところです。

A.幼児言語教育で最も大切な部分は音声です。英語を正しい発音で自然に覚え、それを感情や表情やジェスチャーもふくめ自分の言葉として生き生きと表現できるようになることがポイントです。

スペリングなどは中学校に行ってからやっても十分だと思うのです。 正しい発音の英語を幼児に自然に覚えさせ、それを言葉として楽しみながら使わせることができる先生がいい先生です。

授業は楽しくなければなりません。ですから、お子さんが英語教室に通って楽しいというのであればその先生は一応及第です。あまり楽しくなければやめてしまったほうがいいと思います。

 

Q.先生の発音の善し悪しはどのように判断したら良いのでしょう!見学したときは、子供達に向かってヴェリーグッの連発だったので、それを聴く限りでは別によいと思いましたが、、ネイティブじゃないという部分ではどうでしょうか。国際感覚という意味では目で外国人に慣れるという意味では外国人講師の方がいいのかなとも思いますが、とりあえず楽しく遊べばよいのだから、いいのかな。

 

A.発音という点ではネイティブスピーカーの方がいいのですが、まともな幼児教育ができるネイティブスピーカーを見つけるのは相当難しいです。ネイティブスピーカーであっても、子供の気持ちがわかり、子供に好かれなければダメですし、日本語と英語の違いなど言語学的な知識もなければいけません。そのくらい優秀なネイティブスピーカーはもっと高い給料がとれる大人を教えますから、よほど子供が好きで、どうしても子供が教えたいという人で無い限り幼児英語教育の先生にはならないでしょう。

日本人の先生でも優秀な先生もたくさんいますからあまりネイティブスピーカにこだわらなくてもいいと思います。教え方を見せてもらって、この先生だったらまかせられると思った先生のところに通うのがいいのではないでしょうか。

Q.すぐに、お返事をいただきありがとうございました。 先生の理論からいきますと、とりあえずフォニックスを取り入れていて、保母さんタイプの講師のジオスに子供を通わせるのはokなのですね!?

 

A.まず誤解があるといけないので説明しますが、フォニックスというのはあくまで補助技術であって、メインの教授法になりうるものではありません。

フォニックスの目的はスペリングを発音と比べながら覚えていくということです。アメリカの子供にフォニックスを使う時は、アメリカの子供は言葉はもう相当知っています。話したり聞いたりすることは不自由ないところまでできているのです。その後で学校でつづりを習うのですが、その時に発音とスペリングの規則性とともに覚えさせた方が楽だからフォニックスを使うだけのことです。

したがってフォニックスだけで英語を教えるというのは不可能です。だから「うちの教室はフォニックスで英語を教えています」という宣伝には私は首をひねらざるを得ません。

Q.先生は、どう思われますか?家にいても、暇で暇でいるので、親としては通わせたいのですが。

A.幼児期の教育については以前「子供は楽しくなければ学ばない」というところで説明しましたが、子供に英語の勉強を強制すると子供は負担に感じ英語が嫌いになってしまうので注意が必要です。

ジオスでやっているように保母さんのような先生が子供と遊びながら楽しく英語に慣れさせていくのは良い方法です。

もう一つ大切なのは発音です。子供は先生の発音を素直に正確に覚えていきますから、先生の発音の良し悪しはとても大切な要素です。幼児期に習った英語の先生の発音が悪いと子供の発音も悪くなり、後で苦労します。教えてくれる先生の発音が良いかどうかはよく調べた方がいいと思います。

Q.小学校2年生の息子がいます。私も自分が英語の勉強をしたくてうずうずしているくらいですから、もちろん子供にも英語に早くふれさせてあげたいと思っています。

田舎に住んでいるために、塾は英語に限らず選べる状態ではないのです。私も働いているために塾の送り迎えができないので、近所の塾にかよわせるしかありません。

基礎英語1とか聞かせようと思ったり、アルクの教材を購入したりしましたが、まだ子供が興味を持っているわけではないし、親子ではだめですね。

最近、ジオス子供教室ができたので、さっそく見学にいきました。日本人の保母さんみたいな先生が3人位を相手に、ゲームを中心にした授業でした。

私は高卒で、英語のレッスンとか受けたことがないので、そこではじめて「フォニックス」という学習法を知りました。日本語では『あいうえお』が読めれば、同じ発音で「あお」と読めますが、英語は「ABCDE」を読めても「ACE」をエィスとすぐに読めない、そのためにある程度のルールを憶え、アルファベットの並びを見ただけで知らない単語でも自然と推測できるように、という学習方法をとりいれてました。自分が習った頃(と言っても中学の英語の授業ですけど)と全然違う学習方法にびっくりしました。

 

.フォニックスはつづりと発音を関連させながら、スペリングを覚えさせていく方法ですね。私は導入期の英語教育はやっていないので、実際に使っていませんが、よく知っています。

昔「大草原の小さな家」という番組がありましたが、その中でフォニックスを使ってスペリングを教えていました。 たとえばbookというつづりを覚えさせるのに、b-oo-kと分解し、b=〔b〕,oo=〔u〕,k=〔k〕とつづりと発音を一致させながら覚えさせ、構成音〔b-u-k〕を合成して〔buk〕と読ませます。こうしてつづりと発音の関係を覚えると、look, cook, good, took, stood, shookなどもつづりを見ただけで発音でき、また発音を知っていれば正しくつづれるようになります。

子音と子音字の間にはほぼ1対1の関係があり、経験的に対応関係を理解できますが、母音と母音字との関係は複雑です。しかし、フォニックスを使うことによってその規則性を知ることができ、入門期の英語学習者の負担を軽くしてあげることができます。

セミコロンを使うべき場合でもう一つ頭に入れておいたほうがいいのは、続く文が接続副詞で始まる場合です。

接続副詞とは、接続詞のように文と文をつなげるために使われる副詞で次のようなものがあたります。 例 accordingly hence namely also however nevertheless besides in addition otherwise consequently indeed still finally in fact then first meanwhile therefore furthermore moreover thus

セミコロンは例えば次のように使われます。

The over due shipment arrived this morning; however, we must point out that it was incomplete. 

This employee deserves a substantial raise; furthermore, she should be promoted.

He is brilliant; indeed he is a genius.

また in that case   as a result   on the other hand などの句も接続副詞として使われる時もあります。

The case could take years to work its way through the court system; as a result, many plaintiffs will accept out-of-control settlements.

接続副詞を覚えておいて接続副詞で次の文を始める場合はピリオドでなく、セミコロンで始めると機械的に覚えておけばいいだけのことです。 ただしこのルールは絶対的なものでなく、ピリオドを使っても間違いということはないので、それほど気にすることはないと思います。

Yさんの質問(原文は英語でしたが、日本語に翻訳してお届けします)

.セミコロンの使い方がよくわかりません、カンマとの違いはどこにあるのでしょうか?

私の回答

.日本語には「。」と「、」の二つしかないのに対し、英語にはピリオドとカンマそしてその中間に位置するセミコロンがあるので、日本人にとってはこのセミコロンの使い方は難しいように感じられます。

セミコロンは別に使わなくても良いのですが、使った方が良い場合もいくつかあるので、今回と次回でセミコロンが使われる代表的な例を2つ紹介したいと思います。

次の文はどこか間違っています。どこが悪いかわかりますか?  

× The weather is bad, we might have a difficult journey.

カンマでは2つの独立した文を結びつけるわけにはいかないからです。. もちろんピリオドを使って  

○ The weather is bad. We might have a difficult journey.

と二つの文に分けることもできます。でもこれでは2つの文に関係があることが示せません。 そこでカンマと接続詞 and を使って  

○ The weather is bad, and we might have a difficult journey.

とすることもできますが、セミコロンを使って  

○ The weather is bad; we might have a difficult journey.

とすると、2つの文が独立していてなおかつ関係を持っていることを示せます。

このようにセミコロンは両方の文が独立していながらかつなんらかの関係を持っている場合に使うと便利です。

Q.1つ質問があります。英英辞典の利用を勧めていらっしゃったので、私も早速今日から実践してみたいと思います。英和辞典は捨てるとして、和英辞典の良いものがあったら教えていただけませんか?海外のペンフレンドに手紙を書いたりするとき、和英辞典でひくと、適当なニュアンスの表現が見つけられないことがあります。

A.和英辞典は英語を書いたり、話したりする際に便利なのでつい頼りがちになりますが私はあまりおすすめしません。 和英辞典を使うということは日本語で考えて英語に訳すということで、こうしたやり方では自然で正しい英語がなかなか書けないからです。

英作文は正しい英文をたくさん覚えておいてこれを応用しながら書くのが正しい方法です。私は「英作文は英借文」と言っています。 和文英訳の問題は日本文をそのまま英訳するのではなくその意味するところを自分の知っている英語でなんというかをまず考えます。そして自分が覚えていてこれなら間違いないとわかっている英語の表現を使って書くようにします。

和文英訳の問題は減点法で採点されますから、この方が安心です。 とは言っても英語が頭の中に十分に蓄積されていない時は表現が不足していますから緊急避難的に和英辞典をひかなければならないこともあると思います。その場合は辞書にきちんと例文がのっていて用法がわかるものを使ってください。そしてその例文を応用しながら書くようにします。

自分で正しいかどうかわからない表現は使ってはいけません。 私はアルクのサイトにある英辞朗というオンライン辞書をよく使いますが、この辞典で調べた後は英英辞典で必ずその用法を確かめるようにしています。職場にいるときは同僚のネイティブスピーカーに「こういうことを言いたいのだけど」と英語で聞いて最も適切な表現を教えてもらいそれを覚えるようにしています。

英語を書くときに文レベルで正しい英文が書けるようになることも大切ですが、そうした文を組み合わせて意味のあるまとまった段落(パラグラフ)を書けるようになることも同じくらい重要です。

日本語を書く時でも私達は1段字下げをして段落に区切りますが、英文でも他の行よりも(3~7字)下げてパラグラフに区切って書きます。英文の場合は論理性を重んじるので日本語の場合よりもパラグラフの内容を厳格に整理構成して書いていきます。これがいわゆるパラグラフライティングです。

まず英文の場合1つのパラグラフには1つの主題(topic)があります。1つのパラグラフに2つ以上の主題が混在することは避けます。主題が変わったなら新たなパラグラフにしなければなりません。

そして各バラグラフはその主題をあらわす主題文(topic sentenceまたはkey sentence)とそれを発展させたり、支持したりする部分(supporting or specific details)から構成されます。

どの文が主題文かはっきりわかるように書かなければいけません。 主題文はパラグラフの最初と終わりにくることが多いですが、まれにパラグラフの中間に来ることもあります。主題文が最初に来る時はパラグラフの主題を明確にしておいて、それを説明していく演繹的方法(deductive method)がとられ、主題文が最後に来る場合は順番に説明していって、最後に全体を主題文でまとめる帰納的方法(indective method)がとられるのが一般的です。

関連項目 英検1級英文要約問題の解き方

Introduction(導入部)はスピーチの最初のところです。ここで最も大切なのは聴衆の心をつかみ「おもしろそうなスピーチだな」と思わせることです。どのスピーカーもIntroductionには特別な気をつかいます。

聴衆の心をつかむにはどんな方法があるのでしょう?いくつか例をあげてみます。

1. 聴衆に質問をなげかける

スピーチを聴衆に対する質問ではじめるのはよい方法です。

例えば「皆さんは世界で最も自殺者が多いのはどこの国だと思いますか?」のように質問を投げかけ、その答えを考えさせることによってスピーチに興味をわかせる手法です。

質問をすると聴衆は質問について考えるし、答えを知りたいと思うのでスピーチにうまく引き込むことができます。

2. 自分の体験談からはじめる

人が実際にした体験談というのは聴衆は結構興味を持つものです。

「先月、ラスベガスに行ってきたのですが実はこんなことがありました。」のように自分の体験を披露します。

楽しかったこと、悲しかったこと、恥ずかしかったこと、ショックだったことなどみなさんの人生にもいろいろなことがあったと思います。こうしたことをスピーチのテーマにあわせてうまく利用します。

自分の体験談がない場合は人から聞いた話や本や新聞などで読んだ話でもかまいません。日ごろからあちこちにアンテナをはってスピーチで使えそうな話を仕入れておきましょう。

3. 会話ではじめる

上の体験談とも関係しますがスピーチを突如会話ではじめると聴衆は「はっと」しますから興味をひくことができます。

例えばこういうのはどうでしょう。

「すいません。ちょっとお聞きしていいですか?」振り向くとそこにはかわいらしい20歳くらいの女性が困ったような顔をして立っていました。

情景が目に浮かびませんか?会話を使うと聞いている人の頭にその場面を映すことができますから普通にスピーチを始めるよりも興味を持たせることができます。落語や一人芝居のように声色を変えたり、ジェスチャーをつけたりして臨場感を出すとさらにいいです。


4.ジョークではじめる

ジョークや冗談で人を笑わせてスピーチを始めるのも一つの手です。

聞いている人が3人しかいないのに「今日はこんなに大勢の方の前でスピーチできるとは思っていませんでした」なんているのが一つの例です。

ジョークや冗談にはセンスがあって得意な人とそうでない人がいます。パッとその場を笑わせるジョークが思いつけるの方もいますが一般にはそう簡単にはいきません。でも考えれば人を笑わせるジョークの一つや二つは思いつくと思います。そんなに数はなくてもいいのです。過去に使ってみて「受けた」ものは他の場面でも使いまわしてください。

英語のスピーチはIntroduction, Body, Conclusionでの3つの部分から構成されるのが一般です。

 Introducitonの部分はスピーチの始め1割から2割くらいの部分で、聴衆にどんなことを話すのかをわからせ、興味を持たせることがポイントになります。

Bodyの部分はスピーチのメインな部分で全体の6割から8割をしめます。いかに聴衆をあきさせず、スピーチの内容に引き込んでいくかが大切です。

Conclusionの部分は全体の1割くらいで、それまで話していたことをまとめ、聴衆に強い印象を残しておくことがポイントになります。 それぞれの部分で使えるテクニックを考えてみたいと思います。

私はよくスピーチを料理に例えます。おいしい料理を作るためにはよい素材を使って、いろいろな調味料や料理法を使って工夫しなければなりません。スピーチも同じです。「聴衆がスピーチを聞くことによって学ぶ内容がある」ということが素材です。そしてそれを聴衆が興味がわくように工夫するのが料理法の部分です。

素材と料理法ではどちらが大切でしょう。もちろん両方とも大切ですが、私は料理法の方が大切だと思います。なぜなら料理法を間違うとどんな良い素材を使ったとしてもまずい料理になってしまうからです。逆に素材がありふれたものであったとしても、料理法を工夫すれば結構食べられるものにすることができます。

スピーチも同じです。良い素材を探すことも大切ですが、限界があります。なぜなら私達、平凡な生活をしている人間にとって他の人が聞いて学べる内容のある素材を見つけることはなかなか難しいからです。すばらしい素材はそんなに簡単には見つからないのです。(もちろん常にアンテナを張って、スピーチの素材はないか、探しておくことは必要です)

私はスピーチの素材に関してはありふれたもので十分だと思います。要は「どうそれを味付けして聞いておもしろいスピーチにすることができるか?」ということだと思うのです。その為にはいろいろ工夫しなければなりません。適当に料理するのではおいしいスピーチはできません。やはり味付けや火加減、盛り合わせに最大限の工夫をするべきです。スピーチの書き方を学ぶということは限られた材料でおいしく食べられる料理法を学ぶことと同じなのです。

準備の時間が十分取れる時は、なるべく工夫して、おいしく料理したスピーチを出すべきです。prepared speechの場合は言葉の一つ一つを吟味して選び、deliveryも何度もリハーサルして望みます。

でも即席で短い時間でスピーチを作らなければならないこともあるかもしれません。そんな時でも手際よくサッと料理して、そこそこのスピーチができなければなりません。

ここのところが難しいのです。でも慣れによってだんだんそのコツはつかめてきます。ちょっと工夫するだけで、平凡な料理も結構おいしく食べられるものです。

スピーチをして、これを人に聞いてもらうということは聴衆の時間をもらうということです。それもたくさんの人の時間を一度にもらうわけですから、聞いてもらう時間を意味のあるものにするよう最大限の努力をしなければなりません。

聴衆のことを考えずに自己満足のスピーチを長々する人がいますが、こういう人は自分は聴衆の時間を盗んでいるんだと思ったほうが良いと思います。

自分のスピーチはテレビの番組と考えていただければ結構です。テレビはつまらなければすぐスイッチを切ったり、チャンネルを変えることができます。自分のスピーチはチャンネルを切られないかと常に考えながらスピーチをするのです。

スピーチは目の前にスピーカーがいますからよほどのことがないと退席するようなことはないと思います。でも本当は聴衆はあなたのスピーチにうんざりして席を立ちたいと思っているのを我慢しているのかもしれません。

そういう意味でスピーチをしている間にも常に聴衆の反応を見て、自分のスピーチがあきられていないか確かめ、スイッチを切られそうになったら軌道修正できるようにしていなければなりません。

私は聴衆にとって意味のあるスピーチとは少なくとも以下のどちらかの要素がなければいけないと思います。

1.聴衆がスピーチを聞くことによって学べる内容がある

2.聴衆がスピーチを聞くことを楽しめる

どうしたら聴衆にとって意味のあるスピーチができるかこの2つの点から考えてみたいと思います

では良いリーダーとはどんなリーダーなのでしょうか?もちろんリーダーにはいろいろなタイプがあります。カリスマ性をもった独裁者的なりーダーもいますし、またメンバーにまかせてやらせるタイプのリーダーもいます。フィニックスではどんなタイプがのぞましいのでしょう。

私はフィニックスのプレゼンテーションのリーダーはメンバーにやる気をおこさせfeeling of importanceを持たせることができるようなリーダーが良いリーダーだと思います。メンバー一人一人は自分がこのグループにいることが意味があり、グループのために貢献しており、そこから自分も学んでいると感じればそれはリーダーシップがうまくいっている証拠です。

逆に一部の生徒だけが活動的で他のメンバーがやる気を失っているときはあまりよくありません。メンバーの能力が発揮できていないからです。

メンバーの能力を最大限に生かしそれを良いプレゼンテーションという結果に結びつけていくのがリーダーの役割です。グループによってはメンバーの能力の半分も発揮できずに終わってしまうところもありますが、これでは良い結果は望めません。最終的にメンバーは満足しないでしょう。それはリーダーの責任です。

リーダーは常にどうやったらメンバーにやる気をもってグループの活動に参加してもらえるかを真剣に考えていなければなりません。

私は自分のグループのリーダーには、「リーダーは結果に責任をとりなさい」と言っています。「結果がよければそれは自分のリーダーシップが良かったから、結果が悪ければそれは自分のリーダーシップが悪かったから」と考えるのです。

結果の原因を誰かの責任にしているうちは本当のリーダーシップは学べません。 すべての結果に責任をとるという覚悟をすることによって、途中いろいろな困難にぶつかった時も、その問題に立ち向かっていこうという構えができます。

問題から逃げないことから、新たな解決方法が生まれるし、そうした姿勢を示すことによってメンバーから信頼されるのです。

そして100%のベストをつくして一生懸命にやった結果を素直に受け入れ、どこが良くてどこが悪かったのかを反省をすれば良いのです。こうした経験が多ければ多いほど、リーダーとして成長します。

こうした経験はフィニックス以外の社会でも必ず役にたちます。フィニックスがプロジェクトワークという学習方法をとりいえれているのは単に英語学習のためでなく、グループ活動を通してみなさんに人間としても成長してほしいからなのです。

多くの学習者の中には難しい英語を勉強することばかり気にしていて中学で習うようなやさしい英語を深く勉強することをしない人がいますがこれは正しくありません。

英語学習には広さと深さの両方が必要です。広さとは理解できる語彙の数や複雑な構文をできるだけ広げることを言います。深さとは知っている英語をできるだけ自由自在に活用できるようにすることを言います。

日本の英語教育は広さを広げることばかりに注意がいって、深さをほりさげることが忘れられているからおかしなことになっているのです。

英語には日常頻繁に使うものから、あまり使わないものまでいろいろなレベルのものがあります。一番頻繁に使うのは私達が中学で習う範囲の英語です。

一番使わないのが難解な構文や特殊な語彙です。 これをわかりやすいモデルで表すと次のような逆円錐系になります。ちょうどあり地獄のような形ですね。

円錐の中心部分にあたるのが中学レベルの英語で外側にいくにしたがって難解な英語になっていきます。逆円錐は内側にいくにしたがってより深く(つまり使えるように)なっていなければなりません。

英語力というのはこの円錐の容積にあたります。円錐の底面の円ばかり広げても円錐の深さを掘り下げないから日本人の英語力は薄っぺらいものになってしまっているのだと思います。

英語力は平面的にとらえてはダメで、広さと深さの両方から立体的に考えないといけないのです。

これは私の先生から聞いた話ですが、スポーツや、将棋や碁、楽器の演奏、語学などを習得するにはプロの学び方とアマチュアの学び方の2通りがあるそうです。

プロの姿勢で学んでいる人は早く上達し、プロとして使いものになるところまで上達しますが、アマチュアの姿勢で学んでいる人はなかなか上達しなくプロの域まで到達できないのだそうです。

ではプロとアマの違いはどこにあるのでしょうか?ここではゴルフを例に出して説明します。 まずAさんはゴルフがうまくなりたいと思い、クラブを買ってきます。最初は自分で本などを見ながら練習しているのですがなかなかうまくいきません。そこで近くのゴルフ場に行きB先生にならいます。B先生の下で半年くらいやるのですがなかなかうまくなりません。

そこで今度は違うゴルフ場のC先生について習います。ここでも半年くらいやるのですがうまくなりません、そしてまた先生を変えます。 Aさんはそれぞれの先生のいいところだけとってゴルフをうまくなってやろうとしているわけです。

しかし、この方法は良くありません。なぜならいろいろな先生がそれぞれ違った指導をしますから、迷いが生じてしまうからです。そのうちフォームがガタガタになってゴルフをどう練習していいのかわからなくなってしまうそうです。これがアマチュアの学び方です。

ではプロはどう学ぶのでしょうか。プロはまず先生を選びます。いろいろな先生を見て歩き、人にも意見を聞き、自分でこの先生なら間違いがないという先生を選びます。

この先生はスポーツで言えばコーチや監督、親方にあたりますし、将棋や楽器の演奏などでは師匠にあたります。そして一旦先生を選んだらその先生の言ったことはすべてやり、その先生の技術を全部習得するように努力します。これがプロの学び方です。

英語の勉強も同じです。近くにあるからD英会話学校を選んだというのではダメです。いろいろな学校のことをよく調べ、ここなら絶対英語がモノにできると確信できるところを選ぶべきです。

その学校は別にフィニックスでなくてもかまわいません。自分が「ここなら間違い無いと思えるところ」を選び、そこの方針にしたがって100%努力するのです。 フィニックスにはフィニックスのやり方があります。他の学校には他の学校のやり方があると思うのです。しかし一度決めたら徹底的にやる。ベストをつくしてやるということはどこの学校に行っても同じだと思います。

どこの英語学校に行っても一生懸命やらなければその方法が本当に正しいかどうかわからないではないですか? 私達が教えたいのはフィニックスを選んでくれて、私達の教えることを素直に実行してくれる生徒さんなのです。

この「先生を信じて言われたことは徹底的にやる」というプロの姿勢がないとフィニックスに来ても進歩が遅くなります。出される宿題の中にはなんでそんなことをやるのかよくわからないものもあると思います。でもとにかくやってください。やればその意味はわかるのです。

医者がいくらいい薬を出しても、患者がかってに薬の良し悪しを判断して薬を飲んだり、飲まなかったりしているのでは直る病気も治りません。とにかく信じられる医者を選んで、出された薬はすべて飲むというのが最終的に病気を治す一番良い方法だと思うのです。

フィニックスにはいろいろなタイプの生徒が来ますが、英語が上達するタイプの生徒となかなか上達しないタイプの生徒がいます。どこが違うのでしょうか?

これは私の先生から聞いたクイズですが、なかなかおもしろいので皆さんにも同じ質問をしてみたいと思います。

フィニックスにはいろいろな大学の生徒やその卒業生が来ています。ここに東大、一橋、慶応、早稲田の出身者がいます。このうちフィニックスで英語が上達するのはどの大学から来ている生徒でしょう?できるようになると思う順番に大学名を並べなさい。

私はこの質問を聞いたとき、4つの大学で違いなどあるのかと思いました。4つとも入試には英語があり、英語力という点では4つの大学のレベルはほとんど変わりません。しかしフィニックスに来ているうちに違いがでてくるのです。

答えは一番できるようになるのが東大、次が慶応、その次が早稲田、一番できるようにならないのが一橋です。ちなみに私の出身校は一橋なので、先生はこの話をしてくれたのだろうと思います。

違いはものの考え方にあります。もちろん生徒によって違いはありますが、一般的な傾向として東大や慶応の出身者は素直です。言われたことは素直に「はい」と言ってやるタイプが多いです。それに比べ早稲田や一橋の出身者は批判精神が旺盛です。言われたことはまず疑ってかかり、自分で納得しないとやらないような人が多いのです。

たとえば、「英英辞典で意味を知っている単語をひいてその英語の定義を覚えてきなさい」という宿題を出すと、東大や慶応の生徒はちゃんとやってきます。ところが早稲田や一橋の生徒は「なんでそんなことをするのか」と考えて、やってこないのです。

私は一橋出身ですから、早稲田、一橋タイプの人間の方が反骨精神のようなものがあって個人的には好きです。しかし、こと英語の勉強に関しては勉強方法の批評だけしていてもできるようにならないのです。批評しているヒマがあったら言われたことを素直に一生懸命にやってください。

フィニックスの教師は自分で苦労して英語を学んできた英語教育のプロです。私達が言っていることの中には実際にやってみなければわからないことはいくらでもあります。

とにかく「やる」それから考えても遅くないと思います。言われたことを100%やって、できるようにならなければそこで文句を言えばいいのです。 でも文句を言う時に授業を休んだり、宿題をやってこなかったりしていると、「そんないいかげんなやり方ではできるようにならない」と言われてしまいます。

「君以上にこの学校で言われたことを完璧にこなしている生徒がいない」と先生に言わせしめるくらいやってください。そしてそのくらいやるとみんな英語はできるようになるものです。

日本語の演劇では、客席から見て右側を上手、左側を下手と言いますが、英語の場合にも舞台の位置を示す名称があります。

英語の脚本を書く場合には、舞台上に大道具(英語ではSETといいます)がどこにあるのかということや、役者が舞台のどこに位置にいるのかを示す必要がありますからこの名称を覚える必要があります。

下の図を見てください。

UP RIGHT
UP
UP LEFT
RIGHT
CENTER
LEFT
DOWN RIGHT
DOWN
DOWN LEFT

▲客席▲

まず客席の側から見て客席に近い方を英語ではDOWNといい、奥の方をUPといいます。これは昔の舞台は客席から奥に行くにしたがってだんだん高くなっていくように作られていたからこう呼ばれるようになったものです。

次に客席から見て左側をRIGHT、右側をLEFTといいます。このRIGHT、LEFTとは役者が客席の方を向いて立った時の右、左ですから注意する必要があります。

あとはこの2つを組み合わせればいいわけです。たとえば日本語で言う上手奥はUP LEFTとなるわけです。英語の脚本ではよく省略されて、UL、DRのように書かれることが多いですが、これはUP LEFT、DOWN RIGHTのことです。

幹、枝、根と書き終わったら、最後に葉っぱの部分を書きます。葉っぱはセリフです。そしてセリフを書くときに大切なことは葉っぱは枝についているということです。

枝の部分は状況でしたね。状況がセリフを決定するのです。特に大切なのが「それぞれの役者が何をしようとしているのか」という「行為の目的」の部分です。これがセリフを決定するといっても過言ではありません。 枝の部分である「行為の目的」がはっきりしているのであればその枝にそってせりふをつけていいだけですから簡単です。逆に枝の部分がはっきりしていないと、セリフが浮いて何が起こっているのかがよくわからなくなります。

 ひとつひとつのセリフをバラバラに書いていくのではなく、この役は何をしようとしているのかを決めて、その目的を達成するためのセリフを続けて書いていくのです。どんな話し方になるかは、その役の感情の状態、(おちついているのか、興奮しているのか、悲しいのか)、話す相手は誰なのか(家族なのか、親しい友達なのか、恐れている上司なのか)ということなども影響を与えます。

相手が返してきた言葉にどう反応するかは役のキャラクター(怒りっぽい性格なのか、我慢強い性格なのか、泣き虫なのか)といったことに強く影響されます。 感覚としては頭の中で役の明確なイメージがあって、その役がかってにしゃべりだすのをただ紙に書いていくだけという感じです。

ですから書いていくときは一度にワーと書きます。けして一つのセリフを書いてから次のセリフを何にしようかと考えながら書いていくようなものではありません。

脚本の中に見える形で書かれている部分と同じくらい大切なのが脚本の表面に出てこないそれぞれの役の背景です。この部分は木の根にあたります。見えないだけになおざりにされがちですが、とても大切な部分です。根っこがきちんとしていないと木全体が養分を吸い上げることができず、ドラマ全体が貧弱なものになってしまいます。またここがしっかりしていないと木全体を支えることができずドラマ全体がぐらついてしまいます。

この部分は実際には脚本を書き上げてから、役者自身が考えることも多いのですが、脚本を書く時点でもある程度、役について掘り下げておくことは必要だと思います。ここでは役作りのために用意された質問表を紹介します。 それぞれの役は以下の質問に一人称で答えていきます。(野村陽子著 PINCH & OUCH より)

◆ General Questions

1. What's your name?
2. How old are you?
3. What do you look like? (height, weight, other physical characteristics)
4. Are you married or single?
5. Are you rich or poor?
6.. What is your occupation?
7. Where do you live now? Describe the place you live.
8. In what period of history are you living?
9. What do you like doing? What are your pastimes?
10. What is your favorite food? kind of music? sports?
11. What is one of your habits? 12. What kind of clothes do you wear?

◆ Family Background

1. Describe your family.
2. How do you feel towards each member of your family?
3. How do you get along with each member of your family?

◆ Childhood

1. What kind of home environment did you grow up in?
2. Describe an interesting childhood experience, a happy experience, a sad experience.
3. what was one person or event in your childhood that had a great influence on you?
4. Describe your education.

◆ Using images to describe your character

1. if you were an animal, what animal would you be? a season of the year? a color? a shape?

◆ Characteristics

1. When are you most happy?
2. What are you most proud of?
3. What do you love?
4. What do you hate?
5. What do you fear?
6. What kind of person do you like? dislike?
7. What is your life ambition?
8. What do you value very strongly?
9. What has been the high point of your life up to now? the low point?
10. What kind of person are you?
(Use any of the adjectives listed below, or any other you can think of)
kind  rough  intellectual  simple-minded  lazy  generous  mean  nervous  domineering  creative  critical  egotistic  energetic  trusting  responsible  realistic

さて、幹の部分が書き終わったところで枝の部分に移ります。枝の部分にあたるのは各シーンの状況(situation)です。

各シーンには必ず状況があります。状況は場所、時、登場人物、そして登場人物が何をしようとしているのかという4つの部分から構成されます。この4つの要素が見ている人にわかるような工夫をしなければなりません。これらがわからないと観衆はストーリー自体がわからなくなります。

たとえば場所ですが舞台上でそのシーンがどこの場所なのかを示す、何らかののヒントを見ている人に与えなくてはなりません。背景を使う場合もあるでしょう、木を置くなど大道具を利用することもできます。波のうちよせる音を流して砂浜ということをあらわすこともできます。ボールでもころがってくればそこは公園だということがわかります。

時に関して難しいのはシーンとシーンの間にどのくらい時間が経過したのかを示すことです。5分後なのか、次の朝なのか、一週間後なのかどうやって示しますか?ナレーションを使う方法もありますがあまりほめられた方法とは言えません。ナレーションで説明しなくてもセリフや舞台の様子から自然に時の経過が理解できるような工夫をしなくてはなりません。

登場人物については各役者の名前、登場人物同士の関係を自然にわからせなければなりません。ある役者が他の役者にMomと呼べば、二人は親子ということがわかります。もちろん衣装や動作、セリフなども登場人物がどんな人なのかを理解させることに役立ちます。とにかくその役が初めて舞台に登場したときにその人がどのような人物なのかある程度わからせないといけません。

小説の場合はこれらの状況を言葉で説明すれば事足りますが、戯曲の場合はこれらの要素を見せてやらなければならないから難しいのです。自分の脚本を読んでシーンごとに状況がはっきり見てわかるかどうかをよく考えてみてください。

登場人物が何をしようとしているかという目的の部分についてはセリフのところでいっしょに説明します。

さて実際に脚本を書く場合にどのような順序で書いていくのが良いのでしょうか?最初からセリフやト書きを書いていく人もいますが、あまり得策とは言えません。

私は脚本をよく木にたとえますが、まず幹の部分から書くのがいいと思います。幹の部分にあたるのはシノプシス(全体のあらすじ)です。

日本語では「箱書き」などといいますが、ストーリーの中でどんなことがおきるのか全体の流れをフローチャートのように書いていきます。

最初の部分はストーリーの背景を見ている人にわかってもらう部分です。日本で言う「起承転結」の「起」の部分です。この部分がいいかげんだと話が何が何だかわからなくなります。

それからいろいろな事件がおきます。ここが「承」の部分です。英語ではconflictといいますが、いろいろな葛藤が起きて、だんだんテンションが高まっていく部分です。テンションはストーリーの後ろに行くにしたがって高まっていくように書かなければなりません。「承」の部分はストーリー全体の80%をしめます。

そしてテンションが最高に高まるのが「転」の部分すなわちclimaxです。このクライマックスのテンションを最高に高めるように書くのがコツです。

最後に「結」の部分が来て、ストーリーは終結します。クライマックスからエンディングまではなるべく早く終わらなくてはなりません。グズグズしているとせっかく高まったテンションが台無しになってしまいます。

テンションを高めるコツとしては、登場人物(特にメインの役)にいろいろな問題を与えます。そして苦労してこの問題を解決していく過程を見せることによってテンションを高めるのです。

問題は登場人物の外にある場合も中にある場合もありますが、いずれにしてもその問題を解決していくことによって登場人物が成長しなければなりません。「劇の最初と最後で登場人物がどう成長したか」これがわかるようにシノプシスを書いていくのです。

まず脚本を書くためにはどこからかストーリーのアイディアを得なければなりません。実はこれが最も難しいことで、脚本家はみなこれに頭を悩まします。

まず自分の経験や、他人の経験から話を書いていくという方法があります。自分の人生にはドラマにするほどエクサイティングなことなど無いという人がほとんどだと思います。でも自分では面白くないと思っていることでも、結構人が聞くとおもしろいことはあるものです。普段友達などに話している自分のこと、家族のこと、他人の噂話などをちょっとふくらませるとドラマの題材になるものは結構見つかるものです。

新聞で読んだ事件や、本で読んだ人物を素材にストーリーを書いていくこともできます。この場合ある程度その人物についてリサーチするとリアリティのあるドラマになると思います。リサーチしてもわからない部分は想像で補います。

知っている話の状況を変えてストーリーを書くという方法もあります。たとえばウエストサイドストーリーというミュージカルがありますが、これはシェークスピアのロミオとジュリエットを状況をニューヨークを舞台に書いたものです。時代や登場人物を変えれば同じプロットでも様々なバリエーションのストーリーが書けます。

また脚本を書く練習のためには小説などを脚本に書きかえるということも練習になります。アイディアは自作のものではなくなりますが、小説と脚本では構造が違うので脚本にアレンジするだけでもいろいろなことが勉強できます。どうしても脚本にするアイディアが思いつかなければ知っている話をドラマにすることを考えてください。

脚本を書くときに難しいのは自分の話を客観的に見ることです。自分のストーリーというのは誰しもが思い入れがあるもので、どうしても他人の視点で冷静に見ることができないのです。

私は「脚本の書き方」というクラスを教えたことがありますが、生徒が書いた脚本は一人よがりで自己満足なものになりがちです。そうした点を指摘するのですが、なかなか他人の評価を受け入れられません。

私自身がそうでしたからその気持ちはよくわかります。しかし、自己満足の域を出ないといつまでたっても脚本家としては成長できません。私も一生懸命書いていったものをケチョンケチョンにけなされたり、提出した脚本に真っ赤に赤を入れられてくやしい思いをしたことが何度もあります。そうしたことを乗り越えてだんだんまともな脚本が書けるようになるのです。

昔は脚本を書くのはただ才能の問題だと思われてきました。しかし近年は良い脚本を書く為の方法が確立され、ポイントさえ押さえれば誰でもおもしろい脚本が書けるようになってきています。 まずはそうした脚本の書き方の基本をきちんと学ぶべきです。

ここで紹介するのはそうした誰でもが応用できる方法です。 ただ方法だけ学んでも意味はありません。ここに書かれていることはあくまでも一般論にすぎません。大切なことはこれを使って実際に脚本を書く練習をすることです。

本当の実力というのは自分のストーリーを書いていく中で生じた問題を解決していくことでついていくのです。

アリスコーポレーション社さんのご好意でマジックリスニングを1ヶ月視聴させていただきましたのでその効果についてご報告させていただきます。

<どんな内容か?>

50分ほどのCDの特殊処理された音楽を特別なイヤホンを使って12日間毎日聞くというものです。このイヤホンは高性能のものらしくためしに同じCDを他のイヤホンで聞いてみましたが処理音はほとんど聞こえませんでした。

<CDの内容>

クラシックやジャズの音楽がながれそのうち音が変化します。何か遠くの方から聞こえてくるカシャカシャといった音です。音はさまざまに変化します。いろいろな周波数の音を聞かせようとしているのでしょう。そのうち処理された音楽にかふさって英会話のダイアローグが流れます。(こちらの英会話のダイアローグは別のCDでそれだけを聞くことができます)そのうち渓流の流れとカジカの声みたいのが流れてきます。

<やったこと>

CDは最初のうちはそれだけを聞いていましたが、毎日そのためだけに時間をとるのが難しくなりそのうち他のなにかをやりながら聞くようになりました。耳はいちおうCDの音を聞いているといった状態でとにかく続けました。12日間聞きつづけるのはなかなか大変です。

<変化がおきたこと>

英語の音が硬く聞こえるようになったと思います。特に音質がいいものを聞くと子音が以前よりもひびいて聞こえます。CNNなんかを聞くと以前よりも音がきれいに聞こえるようになった気がします。 また自分で発音する時も意識して子音を響かせて発音しようとするようになったと思います。

<感想>

私はもともと英語がかなり聞き取れるので一般の日本人英語学習者の方にはあまり参考にならないかもしれませんが以下私の感想を述べます。

私は毎日ラジオ英会話入門、英会話、やさしいビジネス英語のネイティブスピーカーの話す英語を書きとっていますがマジックリスニングの使用前と使用後にはそれほど変化はなかったと思います。知らない単語はやはり聞き取れないし、英語の音の連結や脱落に慣れていないところはやはり聞き取れません。マジックリスニングを聞けば突然英語が魔法のように聞き取れるようになったということはありませんでした。

 マジックリスニングは英語教材ではありませんから、マジックリスニングで耳を英語の音に慣らした後も英語の音を聞き取ろうとする努力を続け、新しい英語の表現を正しい発音できちんと覚えていく努力をしないと英語は聞き取れるようにはならないでしょう。

しかしこのマジックリスニングという機器は英語の内容ではなく今まで無意識で無視していた周波数の音を強制的に聞かせることにより英語の音に慣れさせるという生理的な問題に焦点をあてたという意味でおもしろいと思いました。

もしかするとマジックリスニングはリスニング教材としてよりも発音矯正に役に立つかもしれません。日本人が英語の発音をすると全般的に子音が弱く張りがない英語になりがちですが、マジックリスニングで子音がはっきり聞こえるようになると自分でも子音をきれいにはっきり発音するようになると思うからです。

これは「いただいたお便りのご紹介」の「5.TOEICで500点くらいの人に私がすすめる教材」の続きです。

Q.お忙しいなか、親身になってアドバイスしていただきまして本当にありがとうございました。 稲垣様のご指摘のとおり、CNNのTAPEを聞いてもほとんど良くわかりません。テープの中で、聞き取れたフレーズや単語などから話の内容を推測しているにすぎません。英語雑誌やペーパーバックも然りです。ただ、経済記事等は仕事柄、その背景や語彙を知っているためか、リスニングよりかなりましな感じがいたします。

もし、お時間があれば、教えて頂きたいのですが、会社の先輩か(TOEIC 800 程度)から、 〝NHKラジオ教材や学習者のために意図的的に録音したものは、ひとつひとつの音が途切れているので、聞いてもあまり役に立たない。どーせ聞くなら、ネイティブが話しているニュースとかを録音しているほうが良い。〟 といわれたのですが、この点については、いかがでしょうか。

稲垣さまのお勧めいただいた〝茅ヶ崎出版・バイマンスリーやラジオ英会話入門〟は、単語と単語がつながっておらず、切れていて良くないということはないでしょうか。 
 

A.先輩が「音がつながっている」と言っているのはリダクション(音の連結・脱落)のことだと思います。 簡単な例をあげれば I want to listen to CNN. が I wanna listen to CNN になるようなことですね。

 私はリダクションを説明する時によく漢字の楷書、行書、草書と比較します。 楷書とは私達が学校で習ったり印刷で使われている漢字です。 それが少し崩れると行書になり、もっとくずれると隣の漢字と くっついてしまって楷書の原型を留めない草書になります。

英語のリスニング教材をこれに例えればだいたいこんな感じでしょうか

 1.中学校の教科書のテープや ラジオの基礎英語で使われている英語が楷書レベル

2.ニュースや英会話入門、英会話、やさしいビジネス英語、TOEICなど で使われている英語が行書レベル

3.映画で使われている英語が草書レベル にあたります。 (映画の英語は行書に近いものからスラングまじりのこれが英語かと 思われるくらい崩れてしまっているものまでいろいろあります)

漢字を学ぶ時はまず私達は楷書を習います、それからそれを自然に 崩していって行書や草書を学ぶのが普通だと思います。 楷書を学ばないうちから草書を覚えようとすると自己流の崩し方になり 変な字体になってしまいます。

英語も同じです、まず楷書である個々の 音をしっかり学びそれからリダクションを覚えていくのが正しいやり方です。 楷書や行書の英語も聞き取れないのに草書のレベルの崩れた英語から 学ぶことはおすすめできません。

ただ実際に使われている英語は楷書レベルのことはほとんどなく行書や草書レベルだというのも事実です。しかし草書レベルの英語は崩れ過ぎていて、これを初心者が学ぶと変な英語になりがちです。ですから私は教材のレベルとしては行書レベルの英語を聞いたり 話したりすることをおすすめします。

CNNと茅ヶ崎方式、英会話入門はすべて行書レベルの英語ですから違いはありません。 CNNの方が難しいのは使われている英語の語彙のレベルが高いのと ニュースの背景を知らないので理解しにくいだけのことです。(CNNでも インタビューの部分などでは草書レベルの英語のことがあります。私が 言っているのはアナウンサーやアンカーマンの話している英語です)

ですから私がすすめた教材は安心して使っていただいて結構です。 英会話入門レベルの英語でもなかなか聞き取れないものです。ためしに ラジオの放送を録音してスキットの内容や講師とアシスタントの会話を テキストを全く見ないで全文を書きとってみて下さい。最後にテキストを開けて 自分の書き取ったものとテキストを比較すると自分のリスニングの弱点 やどういうところにリダクションがおこっているかがよくわかります。

多聴も大切ですが、細かいところまで聞き取ろうとする精聴も大切です。

英語が聴き取れないのは音が聴き取れないということもありますが、音が聴き取れていてもその意味する概念がよくわからないこともあります。

この概念を理解するために大きな役割を果たしているのが背景的知識です。 背景的知識があるものはわかりやすいのです。

日本のNHKのニュースを聞くのとオーストラリアのニュースを聞くのでは、日本のニュースを聞くほうがはるかにわかりやすいです。それはニュースの背景的事情をよく知っているからです。

 映画を見る場合でも一度日本語で見ておいて、全体の内容を理解しておいてから英語を聞くと、何もしないときよりも細かいところまでずっとよく聴き取れるようになります。

聴き取ろうとする素材の背景的知識を前もって入れておいて、どんなことが話されるかある程度予想して聞くようにしておくのが効率よくリスニングの学習をするコツです。

英語は速く話されるとその文の中で弱く発音される部分が、個々の単語をひとつひとつ別々に発音した場合と違った発音で話される現象がおこります。これがリダクション(音の連結・脱落)です。

このリダクションに慣れていないと英語は聴き取れません。例えばI'm going to leave now.は実際には I'm ghh-nah leave now. と発音されます。Did she call you last night? は速く話されると Che call you last night? と聞こえます。

こうしたリダクションは英語を書きとっていく練習をしていくとだんだんそのパターンに慣れてきます。また英語を覚えるときも文字から覚えるのではなく、テープやCDをよく聞いて実際にネイティブスピーカーが話しているのと同じように言いながら覚えていくと自分が話すときにもリダクションを使えるようになります。

 LISTENING IN THE REAL WORLD(Rost & Stratton著.LINGUAL HOUSE社)はこうした Reduction の例ばかりを集めた教材です。

あたり前のことですが、知らない単語やイディオムは聞いてもわかりません。 読んでもわからないものは、聞いてわかるわけないのです。

自分の実力以上のものを聞いてもわからないのは当然です。リスニングの教材を選ぶときはそのトランスクリプションを読んですんなり意味がとれるくらいのものを選ぶべきです。トランスクリプションが辞書を引かないとわからないようなものは難しすぎます。

リスニングができるようになろうと聞く練習ばかりをやっている方がいますが、これは得策ではありません。 リスニングの力をつけるためには、英語を読んだり、語彙を増やしたりする努力も同時にしなければいけないのです。

知っている語彙が多ければ多いほど聴き取れる部分が増えますから、全体の意味も把握しやすくなります。

英語を聴き取る際に速度についていけない理由はいろいろありますが、まず絶対的に言えることは英語を日本語に訳して理解していてはダメだということです。

 日本人は長い間学校教育の中で英語を日本語に訳することばかりやってきているので、英語を聴き取るときにも日本語に訳して理解しようとします。しかし、英語を日本語に訳して理解すると、英語→概念 と英語を直接理解する場合よりも 英語→日本語→概念 と日本語に訳すという余分なプロセスをとる分だけ時間がかかります。この余分な作業をやっているうちに次の英語が耳から入ってきてしまいますから、情報が処理しきれなくなり速度についていけなくなるのです。

ですから英語は日本語に訳してはいけません。日本語に訳するクセは無駄なだけでなく情報処理能力を極端に遅くするという害悪をもたらすからです。

英語が聴き取れるようになるためには英語を聞いたらその瞬間にその意味する概念が理解できるようになっていなければなりません。そのためには単語レベル、フレーズレベル、文レベルで概念を理解できている文をたくさん頭の中にためておくことです。

概念やイメージとつながった英語が頭の中にあれば、それと同じものが耳から入ってくればその意味はすぐわかります。英語を聴き取るためにも英語のインプットは不可欠なのです。

まず「英語が聴き取れるとはどういうことか」を考えてみましょう。

私は「英語が聴き取れるということは、頭の中に記憶されている英語の音声と、耳で聞く英語の音声が一致している」ということだと思います。 逆に頭に記憶されている音声が英語の正しい発音と違っていると、正しい英語の発音を聞いてもわかりません。

 例えば「牛乳」のことを「ミルク」と覚えていると、正しい英語の発音で「ミヨコ」と聞くと何のことかわかりません。 Do you have a 「ネコ」?と聞かれても何のことかわからない人はnickel(5セント硬貨のこと)を「ニッケル」と覚えている人です。

ですからリスニングを良くしようと思ったら、まず正しい英語の発音を聞いて覚えていかなければなりません。カタカナ英語で覚えていては英語は聴き取れるようにはなれないのです。

日本人はスペリングにとらわれて英語の発音を間違って覚えている方が多いので正しい英語の発音を聞いてもそれが何を意味するのかわからない場合があるわけです。

<総論>

Q.ヒアリングが苦手なわたし。どうか、上達の秘訣・こうやってヒアリング力を磨いた、などなどアドバイスおねがいします。

.「英語が聴き取れない」と言ってもその理由には様々なものが考えられます。考えられるものとしては以下のような原因があると思います。

 1.英語を正しい音声で覚えていない。

2.速度についていけない

3.語彙不足

4.英語のリダクションに慣れていない

5.背景的知識が不足している

それぞれの原因について検討し、その克服方法を考えてみたいと思います。

実は私、昔、大学生のやる英語劇のグループの Model Production(通称MP)に参加したことがあります。遠山先生はこのMPの第一期のメンバーで私の大先輩にあたります。

このMPはフルブライトの交換教授で日本に来ていらした、リチャードバイア氏が日本の大学生にアメリカの演技法を教えるために創立されたグループで現在でも毎年春に大学生による英語劇の公演が開かれています。

今は私の生徒さんがメンバーで、さそわれてドラマの公演を見に行っています。 野村(奈良橋)陽子先生も遠山先生と同じ第一期のメンバーで、その後陽子先生はモデルランゲージスタジオ(MLS)というドラマを使って英語を教える英語学校を作られました。

私もアメリカで演劇教育の勉強をしましたが、英会話入門の内容には随所に遠山先生のドラマのバックグラウンドが生かされておりとても勉強になります。

<神田外語の卒業生の方>

 遠山顕先生・・・私の恩師です。神田外語学院の主任講師時代に担任でした。その当時から独特の教授法で生徒のやる気を引き出し、とても有意義なクラスでした。

先生のご活躍を新聞や雑誌、ラジオで聞くたび嬉しくなる毎日です。このトピでも先生のお名前を発見したのでつい、カキコしてしまいました。 私はラジオ英会話聞いていませんが、きっとすばらしい内容なのでしょうね。みなさん、頑張って勉強されてください。

<私の質問>

私は遠山先生の授業を直接受けたことがないのですが、遠山先生は神田外語時代にACT&READというクラスを教えていたと聞いています。 もしもよろしかったらどんなクラスだったのか教えていただけませんでしょうか?

<神田外語の卒業生の方のご返事>

こんにちわ。メッセージを読み終えてから、遠山先生の神田外語時代のAct and Read 略して A & Rのレッスンを思い出しました。

たとえば、こんな授業がありました。 確か、A4サイズの大きさの紙に英語で短い物語が書かれていて、その文章を読む時間が与えられます。(例えば、桃太郎の話が英語で書かれているくらいのレベルだとご想像してください)

だいたいの内容を把握したところで、ペアーをくみます。先生が時間を計り、一人30秒位の時間で今読んだ物語を、自分たちの英語で(本文そのままを暗記しなくていい)発表していきます。

ペアの相手が言い終わった物語の続きを自分がつなげてゆくのです。(分かるかな?)クラスの中でどのペアが一番最後まで(物語の終わりまで)早く正確に言えたかを競うものです。

このレッスンの目的は、易しい英語の物語を、(子供に聞かせるように)自分の英語で発話することにあったのではないかと思います。

クリスマスの頃、クリスマスソングを覚えました。On the first day of Christmas my true love gave to me、という有名なやつです。

この歌の中で12日間にどんなものをプレゼントされたでしょうか?・・・なんていう問題が期末試験にだされました。(楽しいでしょう?)

 あとは、外国人のよくする、ジェスチャーのやり方とか。I don't know、、という時に肩をシュラッグしますよね。あれのやり方をならったり、そのシュラッグを使った簡単な会話ダイアログをクラスの前にでて、発表したり(役柄分担を決めて演技するかんじです)しました。

今、私も英語講師という仕事をしているのですが、遠山先生のような生徒を楽しませるレッスンをいつも心がけるようにしています。教える側が楽しめなければ、英語の楽しさは生徒には伝わらないとそう思うからです。(遠山先生もそういうお気持ちで英語の指導をされていると思います)

<私の質問>

遠山先生のクラスの詳しい説明ありがとうございました。本当にいろいろなことをされているのですね。 こうした授業は神田外語では遠山先生だけがされていたのでしょうか?それとも他の先生も遠山先生の指導のもとに同じようなことを教えていたのでしょうか? やはりこれは遠山先生の特殊な才能がなければできないクラスのような気がするのですが・・・。

<神田外語の卒業生の方のお答え>

A&Rのクラスは遠山先生が主任をつとめていらっしゃいましたから指導方法などは、おそらく(推測ですが)他の先生も同じように教えていたのではないかと思います。

私は、外国人の先生に習うA&Rよりも、日本人の視点から見た、遠山先生のクラスのほうが、楽しかったです。なにより、役者のセンスは抜群の方ですから・・みなさまもご存じでしょうが・・・ 他のクラスの生徒たちは、遠山先生の生の授業を受けたいと言ってました。

私は英語講師をしていますが、遠山顕先生の大ファンです。いつも「あんなに楽しく英会話を教えられたらいいな」と思っています。

遠山先生は私と同じドラマで英語を教えることの専門家で、ご自身でも演技もされます。(詳しくはドラマメソッド(R)のカテゴリーをご覧ください)

書かれているダイアローグが生き生きしていて、とても良い教材だと思います。

特に私はゲストの人達が最後に状況をいろいろ変えて、ダイアローグをやってみせるところが好きです。

ゲストの方たちは俳優としての才能もバツグンだと思います。

入試問題とTOEFLはまずリスニングの量が違います。現在の入試問題はリスニングの問題はあまりなく、たとえ出題されたとしても、もうしわけ程度の量にすぎません。しかしTOEFLは試験問題の3分の1はリスニング問題です。もしも入試がTOEFLになれば、学校や予備校はリスニングができるようになるような教え方をせざるをえません。

リスニング力を高めるためには、授業自体をすべて英語でやるのが一番良いのですが、これをできる英語教師は少ないので、テープ、CD、ビデオなどの音声教材を使った授業をすることになるとは思います。 しかし、少なくとも「ネイティブスピーカーの話す正しい英語を聞き取らなくてはならない」という強い動機付けにはなることは確実です。

今の訳読を中心に日本語で行なう「英語についての日本語の授業」では聞き取りの力はつきませんから、何らかの形で正しい英語を聞かせる努力がされるようになるだろうと思います。

そして私はこの「正しい英語の音声を聞き取ろうと努力する」ことは、英語学習にとって何よりも大切な「正しい英語を吸収する」ということにとても役立つだろうと考えます。

<Sさんの意見>

加藤紘一フジテレビで英語教育の重要性訴える。6/20(日)の報道2001見ましたか。その中で、日本人のTOEFLのスコアが他国と比べて以外にも低いとのことでした。

高校入試や大学入試に英語という科目があるのが問題 とは思いませんか?中学高校の英語の授業が結局試験のための英語にならざるを得ず、文法・読解・和訳に偏ってしまうのではないでしょうか。

リスニングやスピーキングは採点するのがめんどくさいから入試からは除外されているんでしょうね。 どうやらフィリピンを除く東アジア諸国はみんなそうみたいです。だから英語が出来ない。

ラテンアメリカでは入試に英語という科目はないそうです。知り合いの留学生は一度も英語圏に住んだことがないのにとっても英語が上手ですよ。

確か、加藤鉱一氏はTOEFLを高校生に受けさせるべきだみたいなことを言ってたみたいですけど、それじゃ一緒ですね。TOEFLもテストスキルを磨けば、一言も英語しゃべれなくても650点とか取れるらしいですから。中国にはそういうTOEFL対策学校があるらしいです。

TOEFLには、リスニングのセクションはあってもスピーキングのセクションはありません。コミュニケーションと言ったら、聞くこととしゃべる事がセットになっている訳で、、、。しかもスピーキングはリスニングより遥かに習得が難しいわけです。

個人差は勿論ありますが、TOEFLの高得点を持っている日本人でさえ、アメリカの大学のクラスでは随分大人しい人が多いんです。クラスはディスカッション形式が多いですから、クラスの学生が日本人ばかりだったら授業はまず成立しませんね。

<ここから私の意見> 

はじめまして。みなさんの意見を聞いて、おもしろい議論なので参加させていただきます。

私は加藤氏のいうように入試をTOEFLにすることは日本の英語教育にかなりのインパクトを与えると思います。 日本の英語教育は入試問題に大きく影響されています。本来テストは学習効果を計るものであるべきであるのに、日本の場合は逆に入試の方が学習の仕方を支配してしまっているのです。

生徒がどんな高校、どんな大学に行くかで人生きまると思っている人が多いですから、学校や予備校は生徒がテストで少しでも良い点をとれるような方法で教えています。これを教育学では Back wash Effectsと言っています。

したがって入試を変えることは即、学校や予備校での教え方を変えることにつながり、それが日本の英語教育全体を変える原動力足り得ると私は考えます。

確かにTOEFLにはスピーキングのテストはありません。それはスピーキングの力をはかるテストは大変手間と金がかかるからですが、TOEFLはたとえスピーキングのテストがなくとも、今の入試と大きく変わっており、そのことが日本の英語教育に与える影響は大きいと思います。

以下現在の入試問題とTOEFLの違いとそのことが英語教育に与えるであろう影響について私の意見を述べてみたいと思います。

※ その後 TOEFLは改善され今ではスピーキングのテストもあります。

Q.Simon saysというゲームがあるようなのですがこの「Simon Says」というのはどのようなゲームなのですか?よろしかったら教えてください。


A. リーダーがSimons saysと言って、動作をしながら何か指示を出します。例えばstand upとかraise your right handとかいうものですね。

リーダーがSimon saysと言った時は必ずその指示通りの動作をしなければなりません。しかし、リーダーがSimon saysと言わなかった時はその指示に絶対に従ってはいけません。間違って従ってしまったら負けです。

リーダーは動作をしながら矢継ぎ早に指示を出していきますから、動作につられて、Simon saysと言っていない時もつい同じ動作をしてしまうのですね。

私はドラマのクラスのWarm Upでこのゲームをよく使います。

Somon saysを英語教育の中で使う意味は3つあります。

1つは英語を動作を通して覚えるということです。たとえば立ちあがりながら、Simon says "On your feet,"といえば、これは「立て」という意味だということがすぐわかります。そして自分でもその動作をしますから、英語と動作が一致して、その表現を長く記憶に残すことができるのです。そしてその過程には日本語が全く入ってこないので、英語をダイレクトに覚えることができます。

次に体を動かすことによってリラックスできるということがあげられます。ナチュラルアプローチのクラッシェンも言っていますが、緊張していると英語は入りずらいのです。体を動かすと心もリラックスして英語が入りやすい理想的な状態にもっていくことができます。

最後にこのゲームは集中力を高めます。生徒は一生懸命先生の指示を聞き取ろうとしますから、リスニングの練習になります。また授業の最初に使うとその後の授業に生徒を自然に集中させることができます。

私は手紙の形式で生徒と交換日記をしたことがあります。

まず生徒に英語の手紙の形式を教えます。 生徒はノートを用意してこのノートの上で毎時間先生に手紙を書きます。

手紙は Dear Miss Yamamoto のように始まります。私は生徒に書かせる英語は日記形式よりも手紙形式のもののほうが、生き生きしたものになって良いのではないかと思います。 教師は、この手紙に英語でコメントをつけて次の授業の時に生徒に返します。

私は生徒の英語はなおしません。ただ英語が間違えているとことに赤線をひいておいて、授業で赤線がひいてあるところは何か間違えているから考えてごらんと言っています。

クラスの中で生徒がよくまちがえる文をとりあげて、黒板に書きます。どこが間違えているでしょう?と生徒に考えさせてから、正しい英語を書いて、その場で生徒に覚えさせます。

ノートは次の時間まで返せませんから、2冊用意させると良いでしょう。 担任のクラスでこれをやると生徒の考えていることがよくわかって、生活指導にも役にたちます。


Q.手紙と言うのは面白いですね。すごく力がつきそう。でも、一年生からは始められないでしょう?いつごろからですか?進行形の指導はすごく勉強になりました。ぜひやってみたいです。


A.生徒との交換日記は1年生の後半くらいから可能だと思います。最初は1行だけでもいいのです。 「私の好きなもの」とか「私の家族」とかテーマを与えてやってもいいと思います。

生徒の書いた作文に目を通しコメントを書くことは、教師にとっては相当な負担になりますが、生徒はいろいろなことを書いてきますから楽しめます。毎時間やると大変ですから、1週間に1回くらいでいいのではないかと思います。

交換日記の代わりにEメール交換するのもいい方法です。

私はクラスでミュージカルを教えていますが、ミュージカルの中にでてくる歌はやさしく親しみやすいものが多く中学生にも教えられると思います。

たとえばサウンドオブニュージックの中に出てくるドレミの歌などは覚えやすいものの1つです。 私は動作つきでこの歌の歌詞を覚えさせています。

Doe a deer a female deer で頭に角が生えているジェスチャーをして Ray a drop of golden sun で太陽の光線の動作をするわけです。

 歌を覚えたあと、生徒を8人ごとのグループにわけて、グループごとに振り付けを考えさせて、練習時間を与えた後、これを発表させます。

生徒は自分で発表するとともに、他のグループの発表を見ます。 よくできたとほめることが大切です。

Q.中学英語、指導法の交換をしましょう。たとえば、進行形について、たとえば会話練習について、あるいは洋楽を通じて英語に触れさせる活動や、英語で手紙を書く活動についてなどなど。こんな指導が、こんな意識付けが有効だった、という話があれば教えてください。 
 

A.進行形を教えるのに一番ピッタリした方法はそれまで学んできた動詞を実際に動作をつけて練習させることだと思います。

進行形を導入し、説明した後、まず先生が生徒の前に立って「これから私が何かの動作をします、何をしているかあててください」といいます。 そして例えばバットを振るパントマイムをしながら What am I doing?と聞きます、生徒は You are playing baseball.と答えるわけです。こうして生徒にいろいろな動詞を使って進行形を使わせていきます。

次に生徒の一人を選んで「紙に書いてある動作をして下さい」といいます。 紙にdo your homeworkと書いてあれが生徒は宿題をやっている動作をします。 教師は What is he doing? と聞きます。 生徒が He is studying.とか He is writing.とか言えば No, he is not studying. What is he doing? と聞きます。

こうやってだんだんあてるのが難しい動作をやらせていきます。 最後に生徒を2人組にして、今まで練習した動詞を書いた紙をわたして、一人が動作をしながら What am I doing? と聞き、もう一人がその英語を進行形で言う練習をさせます。

日本人は「内から押しだす力=自己主張」が弱いというお話をしました。私は自己主張ができるようになるには訓練が必要だと思います。

フィニックスではプロジェクトワークIIというクラスがあるのですが、このクラスではこの自己主張ができるようないろいろな特訓をします。

1. 例えば毎回いろいろなトピックで自分の意見を持ちそれを相手に説明することをやります。

2. ディベート形式にして相手が反対意見を述べてきた場合それに関してどう反論するかも学びます。

3. た人前にたって大勢の前でスピーチをすることも学びます。

これらは日本人はほとんど訓練を受けたことがありませんから全般に苦手です。しかし外国の国では学校教育の中で自然に学んでいることなのです。

自己主張の訓練のために、フィニックスが使っている手法としてはディスカッション、ディベート、パブリックスピーキングなどをがあります。

「発音や表現の正確さにこだわりすぎるのは得策ではない」と言うと「では日本人英語で良いのか」と聞かれますが、私はそうは思いません。英語を学ぶ時はやはりアメリカ英語やイギリス英語をモデルにして出来る限りモデルに近い発音で正確な表現を覚えるべきだと思います。

こうしていけばだんだん正しい英語を正確に使えるようになり、そのほうが「より多くの人にわかりやすい英語を使えるようになる」という意味で望ましいからです。すなわち「英語のインプットは正確に」するべきなのです。

しかし、間違えることを恐れて英語を使わないのではいつまでたっても英語はできるようになりません。片言の英語でも日本人英語でもかまわないのですからどんどん使っていくべきです。

最初から正しい英語を使わおうなどというのは不可能ですし、言語習得にマイナスです。私達が日本語を覚えてきた時でも最初は間違った日本語を何度も使って、だんだん正しい日本語が使えるようになってきたのです。

他の人にどう思われるかなんてこと気にして英語を使わないでいると英語は一生できるようになりません。すなわち「英語のアウトプットは大胆に」やるのが良いということです。

「発音や表現の正確さにこだわりすぎるのは得策ではない」と言うと「では日本人英語で良いのか」と聞かれますが、私はそうは思いません。英語を学ぶ時はやはりアメリカ英語やイギリス英語をモデルにして出来る限りモデルに近い発音で正確な表現を覚えるべきだと思います。

こうしていけばだんだん正しい英語を正確に使えるようになり、そのほうが「より多くの人にわかりやすい英語を使えるようになる」という意味で望ましいからです。すなわち「英語のインプットは正確に」するべきなのです。

しかし、間違えることを恐れて英語を使わないのではいつまでたっても英語はできるようになりません。片言の英語でも日本人英語でもかまわないのですからどんどん使っていくべきです。

最初から正しい英語を使わおうなどというのは不可能ですし、言語習得にマイナスです。私達が日本語を覚えてきた時でも最初は間違った日本語を何度も使って、だんだん正しい日本語が使えるようになってきたのです。

他の人にどう思われるかなんてこと気にして英語を使わないでいると英語は一生できるようになりません。すなわち「英語のアウトプットは大胆に」やるのが良いということです。

では、英語を話す人達は英語の誤りや発音の良し悪しにこだわるのでしょうか?

もちろん人によって差はありますが私は日本人が考えるほど彼らは英語の間違いを気に留めていないと思います。

一般に英語を話す人はネイティブスピーカーでもノンネイティブスピーカーでも英語の間違いや発音のバラエティに対してとても寛容です。それは世界中でいろいろな英語が使われていること、アメリカやイギリスの国内だけでもたくさんの方言が使われていることに由来します。

だからあまり英語の発音や表現の正確さにこだわりすぎるのはとりこし苦労だと思うのです。 どんな英語を話すかということにこだわりすぎることよりも、どんな内容を話せるかにこだわるべきです。

一番悪いのは間違いをおそれて、何も話さないことです。何も発言しないで理解してもらおうなどというのはどだい無理な話しです。「あいつはアホだ」と思われるだけです。

「英語を話す人たちの文化では自己主張しないと認めてもらえない」ということを日本人は知る必要があります。何もいわずに相手が察してくれるのは単一民族、単一言語の日本人同士だからこそできることなんだということを頭においておきましょう。 

日本人が英語を話す時、心が萎縮してしまう理由にはいろいろなものが考えられます。

まず考えられるのは育ってきた文化の違いです。おっしゃっているように日本人はとても「シャイ」です。私はこれは育ってきた環境がそうさせていると思うのです。

日本人は育つ過程で大切なのは他人との調和であり、自己を主張することではないと教えられています。グループの中で自己を主張すると「目立とう」だと思われる社会です。

これに対し、アメリカや中国などは、自己を主張しないと「あいつは何も意見がないやつだ」と思われる社会です。ジャパニーズ・ブラジリアンが全然シャイじゃないのもブラジルもやはり、自己主張していかなければ生きていけない社会だからなんだろうと想像します。

もちろん日本人でもいろいろなタイプの人がいますから、「耳からはじめる英会話入門」の中で出てくる大工職人風のおじさんみたいに自己主張が強い人もいます。しかし、全体として日本の文化とは自己主張を抑制する文化であるのは事実であり、これが私の言う「内から押し出す力」を弱めているのだと思います。

日本人が英語を話す時に心が萎縮してしまう、もう1つの理由は日本人は他の人にどう思われるかが気になってしかたがないからだと思います。 日本人は英語を話す時に間違えると、他の人に変に思われるのではないかと思っています。だから完璧な英語を話せるようになるまで、黙っていた方が安全だと思ってしまうのです。しかし、これではいくらたっても英語は使えるようになりません。

それから日本人は言葉の間違いや敬語にとても気をつかいます。日本語を話す時に言葉を間違えたり、不適切な敬語を使うと相手に失礼にあたるので英語の時にも間違いや、敬語がとても気になるのです。

こうした意味では、おっしゃっている「日本語が日本人をシャイにしている」というのはあたっていると思います。

Q.英語を効果的に身につけるために、学習者の精神面がとても大切なことは、ご丁寧なご説明で、よく理解できました。

メンタルな面で拘束するものがあると、それが障害になり(大人サイド)、逆に「天真爛漫」だと英語のインプット・アウトプットがスムーズにいく(幼児サイド)だろうことも、卑近な例として僕があげた姪のケースの応用によっても理解できます。

ただ、そういう理解をした上でも、なお納得がいかないのは、例えば、かなりの人が、それも日本人ではなく、他の国の人たち、たとえば自尊心の強いアラブの人とか、韓国や中国の人とかは、別に「天真爛漫」とはとても思えないような人たちが、成人になってから英語を非常にうまくマスターしている現実です。

知人にもそういう人がけっこういるんです。 確かに発音はうまくはないが、彼ら・彼女らが、かなり流暢に、そしてかなり正確に自身の概念を伝える英語をしゃべり・しゃべりつづけることができるというのが、僕の印象です。

 例えば、金大中・韓国大統領ですが、ご存知のように、この方は長くアメリカで留学していたのですが、英語力は相当なレヴェルです。でも、外見を見てのように、またインタビューの内容をたまに雑誌で読むのですが、間違っても「天真爛漫」と言えるようなタイプの御仁ではありません。

いま僕たちがこのスレッドで話していることの応用だけで、彼の英語上達法を判断できないことは承知していますが、彼の「大人」の部分が、つまり僕らの仮説でいうと、「社会的役割」におおいに関係する「恥」とか「体面」とか「過剰意識」とかによって、あまり影響を与えていない、もっと正確に言うと、そうした「大人」の部分が、逆に、金大中氏の英語学習に大いにプラスに働いたのではないのか、という別の仮説をもってしまうのです。

これはかねがね考えていたことなんです。日本人の英語が上達しないのは、「子ども」の率直な、「おおらかな部分」に欠けていることもあるでしょうが、ひょっとしたら、阻害すると見ているその「大人」の部分が、実は、中途半端なのではないのか、その中途半端さが阻害するのであって、もし中途半端でなければ、障害にならないのではないのか、と思えるんです。

このことは、ここのディスカッションでしばしば引用されている「耳からはじめる!英会話入門」の本の中でも、述べられているのですが、もともと英語の劣等意識を持つ理由がないにも関わらず、日本人が英語に対する癒やしがたい劣等感をいだいているという事実から、示唆されるのです。 
 

A.おっしゃる通り、とても天真欄満とは言えないような人達が英語を自分のものとして自由に使えるようになっています。

そこで私が説明したクラッシェンの理論を修正する必要がでてくると思うのです。クラッシェンの理論は、外から学習者を安心させ自由にする手助けをすることによって,言語習得を高めようとするものです。これは学習者の言語コミュニケーション能力を「外から引き出そうとする力」だと思います。

しかし、私は学習者を自由にさせ、言語習得を高めるにはもう1つ「内から押し出す力」が関係していると思うのです。 「内から押し出す力」とはインプットに関しては、外の世界と積極的にかかわって、新しい言語を吸収していこうという力を、アウトプットに関しては、外からの圧力を押し返し、限られた言語能力をせいいっぱい使って自己を主張していこうとする力を意味します。

この「内から押し出す力」が強いか、弱いかによって、英語学習者の言語習得能力や、コミュニケーション能力はかなり違ってくるのではないかと思います。 アラブ人や、韓国人、中国人などが、日本人よりも英語を使えるようになっているのもこの「内から押し出す力」が強いからでないかと思うのです。

「耳からはじめる英会話入門」の中に出てくる大工職人か畳職人風のごま塩頭のおじさんが、片言の英語でまわりの英米人やスチュワーデスとなごやかに話しているのに、後ろの席の大学生はイヤホーンを借りることもできないというのは、この「内から押し出す力」が大学生よりおじさんの方が強いからだと思います。

この本では日本人は英語を話す時「心が萎縮している」と説明していますが、すなわち日本人は「内から押し出す力」が弱まっているということだと思います。

ではなぜ日本人は英語を話す時、心が萎縮してしまうのでしょうか?「萎縮した心」を開放するためにはどうすればよいのでしょうか?

もし「言語習得には天真欄満さが必要ではないか」で説明した仮説が正しいとすると、教師は生徒にどのように接すればいいのでしょうか。

もし教師が生徒の英語の間違いをその都度、厳しくチェックしていくと生徒の「大人」の部分が働き、これが自然な言語習得を妨げてしまうことになります。今までの日本の英語教育は、こうした指導が多かったのではないでしょうか。

逆に母親が子供の言うことを受け入れるように、教師が生徒を受け入れていく態度をとれば、生徒の安心感は増し、だんだん「子供」の部分が出てきて開放されていきます。すると英語も入りやすくなるし、流暢に英語も出てくるようになると思います。

新しい教授法である、 Community Language Leaarning, Suggestopedia, Natural Approach などは私が今説明したのと同じ立場にたっています。

私は言語の習得(言語を自然に学ぶ方法)[英語のインプットのところで説明しました]にはこの「子供」の部分=天真爛漫な部分が必要ではないかと思うのです。

逆に「大人」の部分が強いと、これが言語習得をさまたげてしまうのです。

クラッシェンが言っているmonitor機能(自分の使っている言語が正しいかどうか判断する機能)はこの「大人」の部分を言っているのではないかと私は思うのです。

そしてクラッシェンの言う、情緒フィルター(affective filter)を下げるということは言語学習において「大人」の部分がコントロールしようとする力を抑えてやることではないかと考えます。

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